「SNS時代」ならではの新たな課題
インターネットによってさまざまな情報に即座にアクセスできる現在。デマやうわさ話といった不確かな情報の拡散スピードは、かつてとは比較にならないほど高まった。だからこそ、SNSなどを利用する際は、気をつけなければならない。
これまで、テーマ「メディアリテラシー」では、そう論じてきた。それは事実だ。
しかし、インターネットやSNSの発展によって、デマやうわさ話を信じるひとが増えただけなのかというと、そう単純な話でもない。SNSは、デマやうわさ話が引き起こす事象をさらに複雑なものとし、混沌とした世界にしている。
出版社でインターネットメディアの編集に携わる筆者にとって、この課題は悩みの種でもある。なぜなら、これといった解決策が見えているわけはないからだ。
メディアリテラシーや情報リテラシーがあるがゆえの、騒動――。今回は、このSNS時代ならではの新たな課題について、まずは「取り付け騒ぎ」から考察していきたい。
「女子高生の雑談」から始まった騒動
金融機関への不信や不安を契機にして、預金者が大量に押しかけ、預貯金の引き出しを行う取り付け騒ぎ。これまで国内外で何度も起こっているこの事象は、デマやうわさ話といった不確かな情報が発端となることがほとんどだった。
ここから語るのは、昭和の時代に起こった、ある取り付け騒ぎの概要だ。
愛知県宝飯郡小坂井町(現・豊川市)を中心に展開する豊川信用金庫(豊川信金)。1973(昭和48)年、デマをきっかけに取り付け騒ぎが起こり、あわや倒産寸前という状態になったが、その発端は女子高生3人の「雑談」だった。
電車の中で雑談に花を咲かせる3人組の女子高生。豊川信金への就職が決まった1人に対して、残りの2人が「(強盗が入る可能性があるので)信用金庫は危ない」とからかっていた。
もちろん2人にとっては冗談だったが、就職予定の女子高生は不安になって親戚に「信用金庫は危ないのか」と相談したという。すると親戚が別の親戚に問い合わせ、その話をたまたま聞いた人物がさらに別の人物に相談していくなかで、話に尾ひれがつき、いつしか小坂井町の主婦のあいだで「豊川信金は危ない」という誤ったデマとして広がっていった。
デマは、時間経過とともに「信金理事長の自殺」「職員の横領」といった過激な内容に変化していった。その結果、数多くの預金者が豊川信金に押しかけ、2週間弱という短い期間で14億円もの預貯金が引き出され、信金は倒産の危機を迎えたのだった。
最終的には全国紙が「デマである」と報じ、日本銀行が「信金には経営問題がない」と説明する会見を開くまでに至った。違法性を懸念した警察がデマの経緯を捜査した結果、あくまで女子高生のうわさ話、雑談から起こった騒動であり、犯罪性や信金の経営問題ではないことが明らかに。だがその捜査結果を発表したあとも、デマの消息までに時間を要したという。
口伝えのみで、小さな町を席巻した取り付け騒ぎ。では翻って、SNSが普及した“令和時代”の取り付け騒ぎはどうだったのだろうか。
SNSが起こした初の「取り付け騒ぎ」
2023(令和5)年3月、米国カリフォルニア州に本社を置く「シリコンバレー銀行(SVB)」が経営破綻し、米連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に置かれた。米国のある下院議員はこの事態を「SNSによる初の取り付け騒ぎ」と言及している。
SVBは、米国のシリコンバレーやベイエリアに拠点を置くベンチャー・スタートアップ(新興)企業、それらに資金を提供するベンチャーキャピタル(VC)らを顧客の中心としてきた。米紙『The New York Times』が2015年に報じたところによると、SVBは米国のスタートアップの65%に対してなんらかのサービスを提供していたという。
米国では2021年、新型コロナ禍での金融緩和などを背景に、VC投資が過去最高額を記録。スタートアップに流れた資金がSVBに預けられた結果、SVBの2022年3月末の預金残高は前年同期比6割増となる1980億ドルに達していた。
だが、好調だった2021年とは対照的に、2022年以降の米国スタートアップ投資は厳しい状況を迎え、潮目が変わった。
インフレが進み、コロナ禍での“巣ごもり消費”が停滞した結果、2022年初めから「GAFA(米Google=現・Alphabet、米Apple、米Facebook=現・Meta、米Amazon)」に代表される巨大テック企業の株価が続々と下落。業界をけん引する企業の株価が下がった結果、スタートアップは投資家からの資金調達に苦戦を強いられた。
資金調達ができなければ、当座の経営のために預金を使うよりほかに手段がない。スタートアップがSVBに預けていた資金は、みるみる流出した。
一方で同時期、連邦準備理事会(FRB)が急ピッチな利上げを進めた結果、SVBが保有する住宅ローン担保証券を中心にした保有債券の含み損は2022年末時点で150億ドル超になっていた。
情報拡散し、不安や危機感が増幅
流出する預金と増える含み損——。この2つの課題に向き合うべく、SVBは保有する210億ドル相当の証券の売却と、22億5000万ドルの増資を行うことを決定。その翌日の2023年3月9日、SVBの株価は60%も下落し、SVBは一夜にして時価総額を96億ドルも減らした。
これら“事実”は、即時にSNSなどで拡散し、VCやスタートアップ企業の経営者はリアルタイムで情報を知った。同時に、別の情報も駆け巡った。
「ピーター・ティール氏(PayPal共同創業者としても知られる著名投資家)が運営するVCはじめ、有力なVCが投資先スタートアップに『SVBから預金を引き上げるように』と指示を出した」――。
これを知った多くのスタートアップの起業家らは、一斉にSVBから預金を引き出した。ネットバンキングにはアクセスが集中し、システムはダウン。一連の状況は、Twitter(現・X)をはじめとするSNSで爆発的に拡散し、事態をさらに深刻なものへとしていった。
2日間で引き出された預金額は約1420億ドル(約21兆円)。これは同行の預金総額の80%にあたる。結果、3月10日、SVBの資金繰りは行き詰まり、騒動からわずか2日という驚きのスピードで経営破綻に至ったのである。
業績の悪化や株価の低迷などが示すように、この令和の取り付け騒ぎは、豊川信金のように、根も葉もないデマやうわさ話のみによって引き起こされた、とは言えない。しかし、「不安を煽る情報が広がり、危機感が増幅し、事態を悪化させる」というメカニズムは、今も昔も変わりはない。
西海岸の投資家とスタートアップたちの不安や危機感は、SNSによって一気に拡大し、増幅され、わずか数日での経営破綻をもたらしたのだ。不安をあおるメカニズムが効く期間や強さをインターネットやSNSが変えたのだが、伝達の経路が増え、速度が早まった“だけ”とも言える。
ただし、一つ違うことがあるとすれば、現代では、たとえ「(事実無根の)デマや誤情報だとは思っていない」と理解していても、思わぬ騒動に発展することもあるということだ。
コロナ禍の「トイレットペーパー騒動」
2020年春、新型コロナウイルスが世界に拡大するなか、日本でトイレットペーパーの品切れ騒動が起きたのは記憶に新しいだろう。
新型コロナウイルスの感染が広がりはじめた2020年2月末、香港やシンガポールなどアジア圏の一部でトイレットペーパーが品薄になっているという報道がなされた。その報道を背景に、あるTwitterユーザーが「原材料を中国から輸入できなくなるので、日本でもトイレットペーパーが品薄になる」といった内容を投稿した。
この投稿には即座に「デマである」といった否定的な反応が集まったほか、製紙業界団体などが否定する声明を発表した。しかしSNSやマスメディアには「トイレットペーパーが品薄になるというデマがあった」と論じる内容があふれかえり、結果として多くの人がトイレットペーパーを買いに走った。
その後1カ月ほどの間、全国的にトイレットペーパーの品薄や品切れが続いたことは多くの読者もご存じだろう。読者の中にはこれが「デマを信じた結果」の騒動だと思う方もいるかもしれないが、そうではない。
総務省が2020年6月に公開した「新型コロナウイルス感染症に関する情報流通調査 報告書」のアンケート結果によると、騒動の際、「トイレットペーパーが不足する」というデマ情報を信じたのは、回答のわずか6.2%だったのだ。
筆者は正直、この結果に驚いた。人々の6%しか信じていなかったのに、トイレットペーパーはリアルになくなっていたからだ。では、なぜ……。
東京大学 大学院工学系研究科システム創成学専攻・鳥海不二夫教授らがまとめた論文に、その答えがある。
デマを信じない人々がデマを現実に
鳥海教授らの論文によると、当時のTwitter上では、デマを信じた「リツイート」はほとんどなかったという。一方で、「デマが誤っている」という指摘は何度もあり、総リツイート数では数十万件にも上った。さらにマスメディアもデマを否定した上で、「誤った情報が拡散されている」と取り上げたことで、「デマである」ということは大々的に伝わった。
だが皮肉にもデマの存在が広く知られるようになった結果、「他人がデマを信じてトイレットペーパーが売り切れるかもしれない」と予想した人々が、デマを否定しながらトイレットペーパーを購入していたことがわかったのだ。
SNSはその拡散力ばかりが危険視されがちだ。デマが拡散しやすい装置であることは間違いない。しかし、たとえデマだと分かっていても、人々が動いてしまうということが、アンケートや研究から明らかになったというわけだ。
トイレットペーパーが品薄になった理由は、「デマを信じず、それを訂正した情報を知った人々が動いた結果」なのだ。
言い換えれば、デマであるという誤りを訂正した「真実の情報」をいち早く手にしたメディアリテラシー・情報リテラシーの高い人々が行動を起こしたということ。実際に、筆者は当時、まず、「楽天市場」や「Amazon.co.jp」といった大手ECモールやECサイトからトイレットペーパーが消えていったのを目の当たりにした。
それと間髪を入れずして、ECモールでは見たこともないような店名のショップが高額でトイレットペーパーを販売。さらには「メルカリ」のような個人間取引のサービスも含めて、トイレットペーパーが高値で取引されていたのを確認している。のちにメルカリなどは高額販売に対する制限を行ったが、それでも定価の在庫が戻るまでには時間を要した。
もちろん都内に住む筆者と、別の地域では状況は違うだろうが、スーパーやコンビニエンスストアからトイレットペーパーが消えたのは、ネット上でそうした異常な事態となってから、多少の時間差があったと記憶している。どういうことなのか。
「原材料を中国から輸入できなくなるので、日本でもトイレットペーパーが品薄になる」という情報はデマであると理解している。しかし、いずれそれを真実と思い込んだ人々によってトイレットペーパーは買い占められてしまうだろうと考えた、リテラシーの高い人々がインターネットで購買行動をした。結果、本当に品薄となった。
つまり、リテラシーの高い人々の行動によって、「デマが引き起こすであろう最悪の結果が、現実のものとなった」ということだ。
変質する“不安拡大”のメカニズム
この騒動を理解したうえで、SVBの取り付け騒ぎの話に戻る。
繰り返しになるが、SVBの事例は、デマ騒動とは言えない。「破綻する」という話自体は事実無根のデマが起点ではないからだ。
しかし、リテラシーの高い人々が「本当に破綻するかもしれない」と先を予測して行動に移した結果、憂慮されていたことが現実になったという点では、トイレットペーパー騒動と似ていると言えなくもない。
トイレットペーパー騒動と同様に、SNSに流れてきた情報を知ったリテラシーの高い人たちが、「『SVBが破綻する』と思う人々が預金の引き出しに走るかもしれない」と考えて動いたことが、破綻を招いたのかも知れない。
少なくとも、SNSをつぶさにウォッチし、それらの情報を冷静に分析するという、ある意味、高いメディアリテラシーが行動の背景にあるとは言える。
付け加えるなら、インターネットの利便性を享受する情報リテラシーの高さが火に油を注いだ。ネットバンキングであれば、クリックひとつ、わずか数十秒のうちに預金を移動できる。「念のために預金を引き出しておこう」と思えば、リテラシーの高いSVBの預金者は簡単に行動できたわけだ。
まとめると、トイレットペーパー騒動とSVB騒動、2つの事例から、以下の新たなメカニズムが見えてくる。
たとえ、その話がデマだとわかっていても、確実性がないと思っていても、情報拡散によって引き起こされる現象を予測して自衛する。結果として、デマや不安をあおる声に加担し、それが引き起こすであろう最悪の結末を、現実のものにしてしまう――。
これは、リテラシーの高さが生んだ弊害と言えよう。極論を言えば、結果として加担した人たちにとって、SNSで広がった内容が真実かどうかは興味がない。興味があるのは、拡散が引き起こす結果だ。デマ騒動や“不安拡大”のメカニズムは、このように変質しているのだ。
デマを信じなくても人々が動いてしまうという、この新たな課題は、単純に真実かどうかを見抜くリテラシーの問題として片付けることはできない。
個人のリテラシー任せでは解決できない
読者にこれから求められることは、これまで言われていたような、メディアやITについてのリテラシー向上だけではない。もちろんそれは最低限備えるべきものではあるが、それだけでは足りない。
なぜなら、繰り返しになるが、令和の取り付け騒ぎとトイレットペーパー騒動は、人々に高いリテラシーがあるがゆえに引き起こされた側面があるからだ。
デマや不安の拡大が引き起こす結果と同じ結果をもたらすが、プロセスが違う。誤情報を鵜呑みにするのではなく、情報を正しく捉え、冷静に分析する。理解できているからこそたちが悪いとも言える。もはや「メディアリテラシーや情報リテラシーを身につけよう」だけでは解決できないのだ。
もちろん、それらのリテラシー自体を否定しているわけではない。だがもう、個人のリテラシー向上だけでは足りない時代に入っている。政府や自治体などの「パブリックセクター」なり、個人以上のレイヤーでこのSNS時代の騒動に対して本気で向き合い、考えなければいけない時期に差し掛かっていると筆者は考える。では、どうすべきなのだろうか。
誤解のないように言うと、筆者には、インターネットの世界で新たな規制や法律を作る「大きな政府」を求めるべきではない、という持論がある。だからここで、規制の必要性を提案したいわけではない。だが、なんらかの呼びかけや枠組みがなければ、今後も新たなメカニズムによる騒動が続くのではないか、という思いもある。
じつに名状しがたいのだが、少なくとも、パブリックセクターはこの問題に対して警鐘を鳴らすべきだろう。
普段、「メディア」の中にいる人間は、あまり「メディアリテラシー」について考えないものだ。情報提供をする側にとって、自らが抱える読者のリテラシーに合わせて記事を提供することはしても、読者のメディアリテラシーに関する問題点や課題に向き合うことは少ない。
その意味では今回の寄稿にあたって新しい角度での考察ができたことは、筆者にとっても非常に良い機会となった。そしてまた同時に、リテラシーの先にある課題を認知するという、大きな難問を抱えることになったと言っても過言ではない。
(次回に続く)