深く多面的に、考える。

市民が愛する食文化 #03

都城おでん発祥「ジャングル」物語 4代目・本野昌明氏の苦闘と覚悟

  • 「おでんジャングル」から始まった都城おでんの歴史。
  • 知名度あれど、代替わりしてから苦悩と苦闘の連続。
  • それでも耐え、乗り越えていく4代目の矜持とは。

冬場は300〜400人前を仕込む

今では都城市内に数十店舗あるとされる「都城おでん」。夏場でも冬場でも、通年で食す市民のソウルフードとして親しまれ、独自の文化を形成してきた。

少し肌寒くなってきた2023(令和5)年10月の中旬、まだ営業前の16時30分頃、その発祥と言われる「おでんジャングル」に赴いた。

都城駅前の繁華街にある「おでんジャングル」

70年以上の歴史と伝統を誇る老舗の名店。どうやら、4代目店主は職人気質で、口数が少ないタイプらしい。ホールの女性は常に忙しそうで、取り合ってもらえないこともある、と口コミにはある。

難しい取材になるかもしれない……。しかし、そんな思いは杞憂に終わった。

暖簾をくぐると店主の本野昌明さん(55歳)が厨房でおでんを仕込んでいた。四角いおでん鍋に具材が整然と並べられ、ぐつぐつと炊かれている。

17時30分になると予約客が次々と着座。1時間ほどでほぼ満席となった。と同時に、持ち帰りの客もひっきりなしに訪れる。

閉店は22時30分なのだが、この日は21時くらいでほぼ品切れとなった。店主の本野さんは言う。

「これでも少ないっちゅうか、11月に入って寒くなればもっとです。冬場は持ち帰りが増えるから、合計300人前とか、多い時は400人前を仕込むことも。それでも20時くらいにぜんぶ売れちゃう日もあります」

なぜ、おでんジャングルは今でも多くの市民に愛され、都城おでんの代名詞として繁盛しているのか――。

名は通っているが、その内実はあまり知られていない。

「都城おでん」の定義とは

都城おでんの文化は、今から約70年前の昭和20年代半ば、このジャングルから始まったと言われている。創業時の明確な記録はないが、4代目となる店主はこう話す。

「私が継いだ時、もう初代は亡くなってたのではっきりはしませんが、先代から聞いた話だと創業は戦後まもない1951(昭和26年)から1952年のあいだらしいです。まぁ、一番古いんです」

おでんジャングル4代目店主の本野昌明さん(55歳)

それまで都城には、「おでんも食べられる屋台」が数軒あったが、おでんの専門店はなかったという。そこへ、戦地の満州から帰った初代が都城で最初のおでん屋を駅前に構えた。引き揚げ前、最後にいた場所が「ジャングルのような山の中だった」ことから、その名をつけたと伝えられている。

そこから繁華街を中心に、市内全域におでん屋が広がっていった。いつしか都城おでんと言われるようになったのだが、明確な定義は「特にない」と本野さんは話す。

都城の市民はもともと、ほかの地との違いを意識することなく、単なる「おでん」として親しんできた。ご当地グルメにありがちな話だが、地域のブランドとして都城おでんと言われ始めたのは、ごく最近のことだ。

一節によれば、九州のグルメを紹介する霧島酒造のウェブサイトが「都城おでん」を取り上げた2011(平成23)年あたりから、その言葉が定着し始めたようだが、これも定かではない。

霧島酒造のウェブサイト「九州の味とともに」で、都城おでんも特集された

ただ、コンビニエンスストアなどで売られているおでんとは明確に違う。そして、都城おでんに共通する独自文化も確かに存在する。その特徴とはなにか。都城おでんの発祥であるジャングルを通して、見ていこう。

主役は「おやし」「キャベツ」「なんこつ」

大根にたまご、厚揚げ、竹の子、こんにゃく……。現在、18種類あるおでん種の多くは、全国でもよく見られるもの。だが、客が必ずと言っていいほど頼む“主役”は、都城ならではの具材と言える。

その一つが「おやし」。スーパーなどで見かけるもやしとは違う「大豆もやし」で、そうめんのように細長い。先に豆がついたままで提供する。シャキシャキとした食感を残すため、煮込み時間を4〜5分にとどめているのがポイントだ。

「おやし」は提供の直前につゆに入れ、数分で引き上げる

「キャベツ」も珍しい。ものの数秒、軽くつゆにくぐらせたもの。おでんというより、つけあわせに近く、箸休めの役割も果たしてくれる。

それ以上に人気があり、真っ先に品切れとなる一番人気が「豚なんこつ」だ。

肉のついた豚の軟骨をお湯で3時間煮て油を抜き、下味をつけて3時間。さらにつゆに入れて2時間、合計8時間かけて煮込む。口に入れるとほろりと溶け、旨味が広がる逸品である。

飛ぶように売れる「豚なんこつ」。あらかじめ仕込んでおいた肉を随時、鍋に追加していく

こうしたおでん種のメニューは、創業以来ずっと引き継がれたもの。新種の具材を追加しない理由を、本野さんは「新しいものが入るとつゆの味が変わったりするんです。そこは変えたくない」と話す。

こだわりのつゆは、創業以来の継ぎ足し。カツオと昆布、鶏ガラの出汁に、地元の少し甘い薄口醤油を足す。さらに、野菜などのおでん種から滲み出る出汁が奥深い味を作り出す。

毎日、約50リットル分ものつゆを足しているが、元出汁が半分以下にならないよう、気をつけながら少しずつ足している。

おでん種を豪快に、しかし品良く大皿に盛り付け、つゆをかけ、そこにおろし金で柚子の皮をふりかけて完成。爽やかな柑橘の風味が食欲をそそる。

からしでいただくのが基本。取り皿にもつゆを入れてくれる

鍋持参の「持ち帰り」文化

冬場は、海岸がある宮崎市に比べ、山間の盆地にある都城市のほうが冷える。冬におでんが売れるのは理解できるが、なぜ年中、愛されているのか。

「食べやすい味っていうのと、この辺の人は昔から『煮しめ』を好まれます。私に言わせれば、煮しめとおでんはまったく別物ですが、そういうこともあるのかなと」

「あと、うちは冬場は柚子、柚子が採れない夏場は日向夏の皮をふりかけるのがポイントで、夏場でもさっぱりといただけるからなのかもしれないですね」

最後にサッと柚子の皮をふりかける。柚子が採れない夏場は日向夏を使う

ジャングル店主の見立てだ。ともかく、「おやし」「豚なんこつ」「年中食べる」、このあたりは他店にも共通する都城おでんの特徴と言える。

加えて、店に鍋を持参して注文しておけば「テイクアウト」できるというのも、ジャングルの特色だ。

   

午後は、開店より1時間早い16時30分から店頭で持ち帰り注文を受ける。トラブルや混雑を避けるため、電話注文は受けていない。

混み具合に応じて受け取り時間を指定されるシステムで、取材した日は1時間〜1時間半後の受け取りが多かった。混んでいたり、注文が遅かったりすると2〜3時間後になることも少なくない。

持ち帰り客は店頭に鍋を持参し、注文票に記入。いったん戻り、指定時間に取りに来る

冬場、年末年始のピーク時ともなると、数週間前に鍋が持ち込まれ、店内に数十の鍋が積まれることもあるという。

この鍋持参の持ち帰りも、都城の多くのおでん屋にも見られる光景。もちろん、ジャングルだけではなく、多くのおでん屋によって都城おでんの共通文化が長年かけて築かれていったのだが、ジャングルがその流れに大きく関わっているのは間違いない。

持ち帰られるのを待つ鍋たち。つゆもたっぷりと入り、そのまま火にかけられる

ジャングルは、都城おでんの草分けであり、礎とも言える。そうした名店を、本野さんは2002(平成14)年の春先、33歳の時に3代目から継ぐこととなった。

運命的な代替わり

伝統ある飲食店は代々、家族が継ぐことが多いが、ジャングルはそうではない。

本野さんと先代とのあいだに血筋はない。そもそも、初代と2代目の“ママ”、2代目と3代目のママとのあいだにも血縁関係はなかった。

話は複雑だが、本野さんによると、初代は、ジャングルの近隣にあった元「おでん絹」のママを2代目として、ジャングルを託した。ただし、2代目の時代、初代の息子も絡んだという話もあるが、定かではない。3代目のママも初代と縁があったまた別の都城の人間。

そこから本野さんが継いだ経緯は、合縁奇縁としか言いようがない。

歴史を刻んだ「おでんジャングル」の旧店舗(提供:本野昌明氏)

名古屋や岐阜で和食の板前として働いていた本野さんは10年ほどのキャリアを積んだのち、宴会需要も多い老舗の「ホテル中山荘」の板前として生まれ育った都城へ戻った。1990年のことだ。

それからまた10年ほど経った頃、「料理長を目指してもいいんじゃないか」という話が周囲からあがった。本野さんは辞めるタイミングだと感じた。

「板長とか、そういうのに縛られたくなかったんです。自分の店を出したいっていう夢があったから。それに、口を使ったり、育てたりするのがあんま得意じゃないんですよ。だから嫌やなと思って、自分でする仕事なんかないかと思って探していたら、知り合いから『ジャングルやってみらんねえ』って話が入ってきて」

運命的なタイミングだった。じつは、「ジャングルをやってみたい」という気持ちを秘めていたからだ。

学生時分、何回かジャングルで食べたことも、持ち帰りをしたこともあった。しばらく足が遠のいていた本野さんは、板前として都城に戻ってほどなく、久々にジャングルを訪れていた。その時の味は、今でも忘れられない。

「すごい感動と衝撃があって。言い方はあれだけど、おばちゃんがやってるのに、『えー、なんでこんな美味しいんだろう』と。自分は厳しい板前の世界でずっとやってきて、先輩から習ってきた味も身にはついていた。その勉強してきたことが真っ白になったんです」

「ジャングルをやってみたい」という衝動に駆られた。「歴史もあったし、心の中ではずっとこの味を引き継ぎたいと思ってた。でも、私が先に継ぎたいって言っちまうと、向こうも構えちゃうから。それじゃいかん」。あえて心にとどめ、蓋をしていた。

それから数年。ジャングルのママは高齢になり、後継者を探していた。その話を、ジャングルの常連だった親戚が耳にし、本野さんに伝わった。

「すぐに継ぐのは無理やけど、継ぐという約束のもと、少なくとも1年間は一緒に働かせてほしい。そのあいだに、味を覚えるから」。本野さんはそう言って、厨房に入った。2002年に3代目のママは引退。かくして老舗の名店を継ぐこととなった。

常連から「味が変わった」と反感

ジャングルはすでに根強いファンを抱え、名も知れている。そこを継ぐことができ、ラッキーだと考える人もいるだろう。しかし、ここから本野さんの苦悩と苦闘が始まる。

味つけで苦労することはなかった。

先代のママから、つゆの配合など細かいレシピを渡されたわけではないが、そこはプロの板前。一緒に働いた1年間を通じて、自分の目と舌で学んだ。ママが季節によって微妙に味つけを変化させていることも見抜き、同じようにした。

だが、代替わりしてからほどなく、古参の常連から「味が変わった」と反感を買った。

本野さんとしては、「味を変えた」つもりはない。ベースは同じで、伝統は継いでいる。ただ、若い客層が徐々に増えていた。その口に合うよう、少し濃い目にはしていた。

「なんて言えばいいんですかね、ちょっと変えたみたいな。それに、味見する人が変われば、味も変わります。うなぎのタレもそうですけど、いくら同じレシピで継ぎ足していても、絶対にどこかで味は変わってくる。何十年前とまったく同じなんて、絶対にない」

「自分の舌を信じないといけないし、美味しいとおっしゃるお客さんもいるわけで、文句を言われても『わかりました』と言って、仕方がないと思うことにしました」

救われた先代ママの言葉

常連からは「接客も変わった」と指摘された。3代目のママは、家に帰ってきたかのように気さくに客を迎え入れるタイプで、客からも親しまれていた。

先代のママも厨房に立った旧店舗(提供:本野昌明氏)

もともと厨房に籠もり、板前として寡黙に手を動かしていた本野さんは、「自分もママを見習おう」と努力をしたという。しかし、なかなか受け入れてはもらえなかった。

「夢に出てくるくらい、お客さんから言われました。前のママの時は違った、ママはこうしてくれたって。私が男性で、まだ30代の若造だったから、40代、50代のお客さんとしては、やっぱりね……」

板前としてのプライドもある。しかし、看板を背負った客商売でもある。しばらく苦悩したが、ある時、引退したママから言われた言葉に救われた。

「引くとこは引かないかんけれども、まーくん(本野さん)のやり方を通したかったら、それでいきなさい」

我を通しすぎるのは駄目だが、自分流を諦めることもない。いろんなお客さまがいる。その中間、平均をなるべく模索していこう――。そう吹っ切れた。

新店舗と同じく旧店舗の奥には座敷もあった(提供:本野昌明氏)

何年かして、“本野流”は次第に受け入れられ、根づいた。味の評判は落ちることなく、客層も新しい世代に入れ替わり、都城おでんの代名詞としての座を守り続けた。

しかし、それでも順風満帆というわけではない。最近も苦闘が続いている。

予期せぬコロナ禍の余波

もちろん、コロナ禍はきつかったが、それはすべての飲食店に共通する。むしろ、ジャングルは持ち帰り文化に助けられたが、予期せぬ事態が起きた。立ち退きの要求だ。

ジャングルは長いあいだ、「都城ビジネスホテル」がテナントに貸していた3店舗の一つとして、1階フロアで営業していた。だがコロナ禍でホテルの利用客が激減。老朽化も激しくホテルの一時閉業が決まり、ジャングル以外の2店舗も閉店した。

先が見通せなかった2021年、オーナーから「移転してくれ」と言われ続けたが、本野さんはテイクアウトを中心に営業を続けた。常連客から「駅前から動かないでほしい」と懇願されていたこともあるが、本野さん自身も創業の地へのこだわりがあった。

都城駅方面に続く道路。旧店舗は手前の道を挟んで2軒隣だった

結局、約1年粘り続けた結果、幸運にも道を挟んで2軒隣の店舗物件が空いた。2022年3月、現在の場所へ移転し、新装オープン。事なきを得た。

だが、またさまざまな難題が襲いかかった。最たるものが、昨今の原材料・物価高騰だ。

3代目ジャングルのおでんの料金は、「牛すじ」「竹の子」など一部の具材が1個150円(税抜き)で、それ以外はすべて100円と安く、わかりやすかった。本野さんも長らく据え置きでやってきた。しかし、物価高騰には抗えない。

常連客からも、「もういい加減、値上げしなさい」と言われていた。だから、移転と前後して、値上げに踏み切った。

値上げ後の、現在のメニュー表

100円だった野菜類、練りもの類の一部を20円、ないし50円値上げ。さらに、「じゃがいも」は200円とし、「豚なんこつ」は250円とした。

しかし、移転の直前、メニューから外さざるを得なかったものもある。

消えた「牛すじ」と「きんちゃく」

「150円で売っていた『牛すじ』は、私が50円上げて200円にしていました。それも全然コストが見合わなくなってきて、1本600円ぐらいで売らなあかんくなって。でもそれは、おでんやない、高級料理やと思って、やめました。あくまでも、おでん。親しみやすい値段でいきたいと、ずっと思ってやって来ましたから」

おでんの定番であり、伝統のメニューが一つ消えた。2023年夏には、おやしや豚なんこつに並ぶもう一つの看板メニュー「きんちゃく」も一時的に提供できなくなった。

ジャングルのきんちゃくは、大判の薄揚げ(油揚げ)の中に餅や豚肉のミンチ、もやしなどがぎっしり詰まった人気メニュー。そのボリュームに驚く人も多い。市販品より大きく、少し厚い揚げは特注品で、長年、市内の豆腐屋から仕入れていた。

ジャングル名物「きんちゃく」(提供:本野昌明氏)

しかし、高齢だった豆腐屋のご主人が体調不良で店を閉め、仕入れが止まった。「これがないときんちゃくができない」と本野さんは泣く泣く、提供を中断した。

「きんちゃくはジャングルの名物なので、どうしても譲れないところがあって。時間を見つけては個人の豆腐店で近いもの探して、作ってみたりするけど、薄いと破けちゃうし、具材が勝っちゃう。味も辛くなっちゃうんですよ。市販のは、脂っぽくて味が乗らなかったりして、なかなか見つからなくて……」

ジャングルと言えばきんちゃく、というほどファンは多い。餅が入り温まるため、冬場になるほどよく出る。取材した日も、「ごめんなさい、今、きんちゃくがないんです」と頭を何度も下げていた。ジャングルを揺るがす大問題である。

だが、妥協は許さない。「ちょうどいい揚げはどっかに絶対ある。乗り越えないかん」と模索を続けた結果、ようやく兆しが見えてきた。年内にはきんちゃくの提供を再開する予定だ。

ただし、これらはジャングルにとって、大したことではないのかもしれない。

人を雇わない理由

移転を機に、もう一つ、伝統のメニューがその名を消した。「餅」である。その理由は、原材料高騰や仕入れ中断よりも解決が困難であろう、「人手」にある。

餅は、焼き場で焼いた餅をちょっと出汁に通して、柚子をふりかけて出す品で、手間がかかる。

「餅も人気はあったんですけれど、2人しかいないですし、(移転で)店も広くなったことで、手が回らんくなって。まぁ、隠れメニューじゃないですけど、言われたら出すこともありますけど」

移転・リニューアルオープンして店舗面積は約1.7倍に広がった

移転で店舗面積は約1.7倍に、席数も10席以上、増えた。とんでもない量の業務を、今は本野さんと従業員の女性、2人でこなしている。餅を減らしたところで、遠火で手を焙るようなものだ。

朝は8時30分に店に入り、仕入れや仕込みに取り掛かる。その数が半端ではない。

夏場でも毎日、150人前ほどを準備。持ち帰りが増える冬場は、店内と合わせて300人前ほどに。大晦日などのピーク時は400人前になることもあるという。

昼間と夕方には、持ち帰り客のオーダーを店頭で受け、鍋を預かり、17時30分から営業開始。本野さんは、何度もおでんを皿に盛り付けては、合間に焼き場で串焼きの具合を見て、持ち帰りの鍋にも具材を詰めていく。つゆが減れば、継ぎ足しもする。

ホールを担当する女性も、ひっきりなしに入る食事とドリンクの追加注文を受けては届け、断続的に訪れる持ち帰り客や飛び込み客にも対応。寸分の休みなく動き回っており、よく2人で回せているなと感心させられる。いや、回せていないのかもしれない。

店内での調理・接客に加え、店舗の電話予約、持ち帰り客への対応まで2人でこなす

人を雇えばいいのに、なぜ。本野さんに聞くと、こう答えた。

「雇ったこと、あるんですよ。でも、続かないですよね。アルバイトを雇って、おでんづくり以外の仕事をやってもらったことあるんですけども、それでも続かなかったりするし。まぁ、友だちから言わせると、俺が厳しいんじゃないかと」

とにかくストイックで、真面目なのだ。

「しんどい」けど続けられる

朝8時30分から閉店時間の22時30分まで働き詰め。その後も、つゆを濾したり、締め作業をしたりして、午前0時過ぎにようやく開放される。週に1日しかない店休日も店に出て、継ぎ足しのつゆに火を入れ続ける本野さん。

ジャングルとおでんに真摯に向き合って21年。だからこそ、ついバイトにも厳しく当たってしまうのだろう。しんどくないのか。

「まぁ、しんどいですよ。たくさんある仕事の中で、なんでこの仕事を選んだかなって思ったりしますけどね(笑)。でも、やっぱりなにより、美味しかったって言われるのが一番、嬉しいんです。言われた時に感じますね、この仕事をしていてよかったなと」

かつて自分がジャングルのおでんを食べて得た衝撃や感動を、ほかの人にも与え続けたいという思いがあるから、続けられる。もっと言えば、続けなければならない、という強烈な使命感や責任感が、根底にはある。

資金は出す。マスターは最初に味を決めて、あとは任せてもらえばいい――。過去、東京や大阪、福岡に出店しないか、という話を至るところで持ちかけられた。

あるいは、ジャングルのおでんを真空パックに詰めて、ネット通販やお中元・お歳暮向けに出さないかという話もあったが、それらはすべて断った。

「やりたい気持ちはあります。ありますけど、私の目が届く範囲じゃないと味は守れない。やると、ここの名が落ちるから。もう、私は1店舗だけで行きます」

次へ継ぐまで看板を守る

本野さんにとって、絶対あってはならないことは歴史と伝統を途切らせること。ジャングルの看板を背負ってしまった以上は、その使命が生じる。

「私もいろんな目でだいぶいじめられました。いじめられて、ほんと潰れそうになりましたけど、でも、看板があったから、なんとかね……」

かつて客からの悪評に耐えたのも、味を少し変えたのも、牛すじや餅をなくしたのも、2人で耐えているのも、フランチャイズ展開をしないのも、すべては味と店を守るため。すべては、次の世代へジャングルを残すためにほかならない。

後継者のことも考えるようになった。本野さんには3人の子どもがいる。うち、30歳の息子が1人。飲食関係の仕事をしていたが、今はまったく違う業界にいる。

「息子は違う仕事してるから、ダメでしょ、多分(笑)。 向こうから私に言ってくれば、考えますけど、私から押し付けるあれもないし。嫌でやってもらっても仕事は伸びないし、絶対に手、抜いちゃうし」

なにがなんでも息子に継ごうという気はない。これまでの承継のように、他人に渡すかもしれない。自分がそうだったように、必然や運命的な展開を待っているような気もする。

本野さんは今年55歳と、まだ引退には若い。それまでは看板を守り抜く。その覚悟を胸に、今日もおでんを炊き続けている。

次回に続く)

   

 

 


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井上 理(いのうえ・おさむ)

フリーランス記者・編集者/Renews代表。1999年慶應義塾大学総合政策学部卒業、日経BPに入社。「日経ビジネス」編集部などを経て、2010年日本経済新聞に出向。2018年4月日経BPを退職。フリーランス記者として独立し、Renews設立。著書に『任天堂 “驚き”を生む方程式(日本経済出版社)』『BUZZ革命(文藝春秋)』。

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