深く多面的に、考える。

市民が愛する食文化 #04

変わり続ける都城おでん「雨風」 3代目・野村英樹氏の変革と理論

  • 都城おでんの老舗として名を轟かせるもう一つの名店「雨風」。
  • 味やメニュー、接客まで、3代目はあらゆる変革に臨んだ。
  • 都城おでんの定義、そして伝統を継ぐことの意味とは。

割烹や小料理屋かのような風情

大きな暖簾をくぐると、いかにも老舗らしい、得も言われぬ情景が広がっていた。

2023年10月中旬の夕方、「雨風」を訪れた。中心市街地にある合同庁舎の眼の前に佇むおでん屋だ。

創業は1954(昭和29)年。「都城おでん」の老舗として数々のテレビや雑誌などに取り上げられた名店で、雨風の数年前に創業した「おでんジャングル」と双璧を成す。

雨風3代目店主の野村英樹さんが、おでんを見繕ってくれた

店内は、敷居の高そうな、それでいて落ち着きも感じられる雰囲気。おでん屋というより割烹や小料理屋といった言葉が似合いそうだ。

「やっぱりね、語ることも大事だけど、結局そこに集約されてますから」。店主の野村英樹さん(53歳)がカウンター中央のおでん鍋を指し、いくつか見繕ってくれた。

店主がさっと見繕ってくれたおでん。ここでしか味わえない種が多い

「ほうれん草」、季節ものの「ぎんなん」、宮崎牛を使った「宮崎牛すじ」など、ジャングルでは見かけなかった種が多い。ジャングルでも名物の細長い大豆もやし「おやし」もあるが、こちらはカンピョウで巻かれ、くたっとしている。

つゆは、「利尻昆布」「マグロ節」「塩」が基本。醤油は使わない。塩ベースの出汁が染み入ったおでんは、濃くも薄くもなく、奥深い。上品な和食という印象だ。

雨風でも「豚なんこつ」は1、2位を争う人気のおでん種だが、ジャングルとはまるで味が違う。ドロっとした味噌ダレに浸かった味噌煮だ。

「豚なんこつ味噌煮」は別鍋で、しっかりと味を煮含める

雨風は、これら各種おでんの持ち帰りにも対応しているが、取材した日は1件もなかった。そのことを聞くと、野村さんはこう返した。

「お持ち帰りのお客さまには、ご利用は初めてですか?って聞きます。で、『うちは1品200円から、高いところは800円します。ご予算合えば』とご案内すると、お持ち帰りはぐんと減ります」

前日に、おでんジャングルの取材を終えたばかりだった。味や具材、値段から、接客まで、あらゆることが違う。

「それで言うと、都城おでんがジャングルさんを指すのであれば、うちは“じゃない”んです。そもそも、うちは夏場のおでんの提供はやめていますし」

「テレビの取材が来ても、『うち、違いますよ』ってはっきり言います。でも、お答えできることはお答えします。要は、おでんという食文化を皆さんに広く深く知ってもらいたいわけです。うちがどうのこうのじゃなくて」

のっけから混乱した。わずか1日で、都城おでんの概念を覆された。いや、そこは食らいつきたい。まずは雨風、そして野村さんの歴史を追った。

親子3代で看板を継ぐ

雨風は代々、世襲でその看板を守ってきた。終戦後、野村さんの祖父母が都城でおでん屋を始めたことに端を発する。

老舗の風格も感じさせる雨風の店構え

雨風という屋号は、文学青年であった創業者(祖父)が知人の案も加味しながら決め、店は祖母が切り盛りした。

昭和後期には都城の政財界からも贔屓(ひいき)にされた。1984(昭和59)年から都城市長を5期20年務めた岩橋辰也元市長もその一人。助役時代、宮崎日日新聞の紙面で、自身が推薦する料理として雨風を紹介したこともある。

祖母の息子、つまり野村さんの父親は東京に出ていたが、1968(昭和43)年、結婚を機に妻を連れ、都城へ戻った。夫婦で店に立ち、祖母のもとで数年間、味を学んだのちに代替わり。以来、中心となって店を継いだのは嫁いだ野村さんの母だった。

バックパッカー時代の国際学生証(ISIC)の写真

その息子である野村さんも、父親同様、東京に出た。20歳前後は、バックパッカーとしてイスラエルなどの中東諸国や、崩壊前のソビエト連邦など世界を周った。帰国後、アルバイトを転々としていたが、「目が出ないので、帰ってきました」。

これも父親と同じく、東京で出会い、結婚した妻を連れて、今から18年前の2005(平成17年)年、都城にUターン。長らく看板を守った2代目の母親のもとで学び始め、4〜5年ののち、野村さんは店主となった。

そこから始まった3代目の歴史は、「変革」の歴史でもある。

3代目からの「塩おでん」

雨風のおでんつゆも、ジャングルなどほかのおでん屋と同じく、創業以来の継ぎ足し。約70年間、完全に入れ替えることはしていない。

ただし、野村さんは試行錯誤しながら、おでんに関するすべてを根本的に見直し続けている。

「前の時代は、昆布や鶏ガラなどで出汁をとったり、お酒や薄口醤油を使ったりしていましたが、“素人”だった私がその日のお出汁の味を決める際、調味料が多いと塩梅がわからないので、引き算でシンプルにして、最後は塩で決める事にしました」

つゆの色は濃く見えるが、醤油は使っていない

初代や2代目の時代は、昆布・鶏ガラと醤油ベースの継ぎ足しだった。それを、利尻昆布・マグロ節と塩ベースにがらりと変えた。

ほかのおでん屋と共通する具材であっても、このスープでじっくりと煮ることで、似て非なるおでんが出来上がる。店主の解説はこうだ。

「素材をより力強くさせるお出汁に仕上げたいので、つゆは滋味深く仕上げたい。ちょっと余白を持たせていて、食べてるうちに食材の甘みや味がわかるようになってくるんで、たくさん食べれらるんです」

つゆと素材の掛け算を追求した結果、個性の強い種も増えていった。

おでん鍋の「枠」を細分化

「本日の塩おでん」と書かれた黒板にずらりと並ぶ種。「大根」「おやし」「きんちゃく」など、都城のおでん屋でよく見る具材もある。

だが、「鮫のはんぺん」「鶏と太葱の生つくね」など、独自にこだわった“変わり種”も多い。過去には、ミートソースが入った「イタリアンロールキャベツ」や「5種の海老のつみれ」などもあった。

黒板にびっしりと書かれた「本日の塩おでん」。メニューは日々、変化する

ここまで種類が増えたのは3代目になってから。そして、頻繁にメニューが入れ替わるようになった。今日あった種が、明日にはないこともざらだ。

野村さんは、さらなる“おでん改革”を続けた。

おでん鍋をよく見ると、金板で仕切られ、各々の枠に決まったおでん種が整然と収められている。仕切らた枠は、それぞれ出汁や塩分、脂の濃さが異なる。

「その素材が引き立つ、美味しくなる濃度は変わってきます。そのために、枠を作って、濃度を決めて、出したり入れたりを繰り返します。基本的には同じ具が同じ枠に戻ってくるので味は混ざらない。もともと枠はあったんですよ。それをより細分化したんです」

金枠で仕切られた「おでん鍋」。それぞれ異なる塩分濃度で管理されている

大根は通常、4〜5日ほどかけて、じっくりと味をしみ込ませる。おやしは9時間ほど、つゆに浸しておく。その日仕入れた具材の種類や状態によって、時間や濃度を微調整している。

野村さんは「料理は、ことわりをはかる、って言いますから。明確な理由がないと、お客さまには伝わらない」と言い、こう続けた。

「やってみると、よくまぁ母親はこれを何十年もやったよって思うくらい、おでんってものすごく複雑です。だから、家庭と専門店の違いをもっとわかってもらいましょうよって。そのためにお金もかけているので、値段もきちんと上げないとって思っています」

おでんの味も種類も変えれば、価格も頻繁に変えてきた。だから、雨風の品書きには値段が書かれていない。

「うちは、(海鮮など)旬のもの、時価のものを扱うので、値段は変動することが多いんです」

値上げするなら、手間も増やす

今の価格は、例えばおやしは250円、宮崎牛を使った牛すじは500円。季節ものの「サンマのつみれ」は800円で出したが、「半分くらいは原価」という。

「紅生姜餅の巾着」は雨風人気の1品。紅生姜が練り込まれた餅は老舗の和菓子屋に特注している(雨風のInstagramから)

紅生姜が練り込まれた餅が入った珍しい種「紅生姜餅の巾着」は450円。ほかに「大根」「宮崎牛すじ」「おやし」が入った上の写真のお皿は、締めて1500円になる。

これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれだが、「この辺じゃ高いと思いますよ」と野村さん。しかし、仕入れや手間を考えれば適正だと考えている。

数年前は1つ200円としていた大根は、コロナ禍を経て、段階的に300円とした。ガスで煮て、冷ましながらつゆをしみ込ませる工程が4〜5日。そのために毎朝、数千円のコストと数時間の手間を費やし、出汁をとっている。

「これくらいいただかないと、適正に儲からない。それに、生産者さんや問屋にも還元できません。昆布も炭も、鶏も豆腐も仕入れ値は上がっている。うちは、『ああ、構いません。こっちが値段を上げりゃいいんで』と言います」

「そもそも、おでん業界は手間の割にお代が安すぎます。若い人が目指さないのではないかという問題意識もありました。毎朝6時とか7時に入って、2時間半ぐらい出汁とって。忙しい時なんて夜中の2時に帰って、また朝6時。だから、おでんはもっともらうべきなんです」

「その代わり、値上げをするなら、手間も増やす。恥じないものをお出しするために、より研磨する。ちゃんと手間をかけたうえでお代をいただきましょうという考えから、当店はこの値段設定にしています」

並々ならぬ思いでおでんづくりに打ち込み、おでんに関するあらゆることを変えてきた野村さん。だが、変革はこれにとどまらない。

すさまじいメニューの充実ぶり

幾枚かの写真でお気づきの方もいると思うが、カウンターの奥、最も目立つところに黒板がある。そこにあるのは、おでん以外のメニューだ。

本格的な“おでん以外”のメニュー。頼まずにはいられない

この日は、「辛子明太子チーズ出汁巻卵焼き」「にがごりと茄子練り味噌炒め」「焼き魚(がらんつ/鯖干物/銀ダラ西京漬)」といった和食を中心に16種。こちらも毎日、変化するという。

なかには「かきと青唐辛子のフリッタータ」「宮崎牛イチボのグリル チプリアーニ風カルパッチョ仕立て」「雨風風カルボナーラ」「シャインマスカットとブッラータチーズ」など、イタリア語交じりのメニューも並ぶ。

今年9月には西洋鶏出汁をベースにした「雨風特製ソースのナポリタン」を5年ぶりに提供した(雨風のInstagramから)

おでん屋とは思えない充実ぶり。和食屋か、はたまたイタリアンか。

このおでん以外のメニューが気になり、一通り取材を終え退散したのち、再び舞い戻った。

「へべすって知ってます?」「からあげ、食べてみます?」……。店主から勧められるがままに、宮崎特産の柑橘「へべす」を漬け込んだ自家製リキュールの炭酸割りをいただく。

宮崎特産の柑橘「へべす」をウォッカで漬け込んだリキュールを炭酸割りで

爽やかでお酒とは思えないほど飲みやすい。しばらくして、おでん出汁を使った「骨付き鶏モモ塩からあげ」がやってきた。

ここにも添えられたへべすをかけ、口に入れると、鶏の脂とうま味が吹き出した。おでん出汁とへべすのおかげか、あっさりといただける。

継ぎ足しのおでん出汁を使った「骨付き鶏モモ塩からあげ」

続いてのリコメンドは、炭焼きだ。

「炭焼きもいいですよ。うちは、『宇納間(うなま)備長炭』ですから。都城市内ではうちと、もう2軒くらいじゃないですか、宇納間を使ってるのは」

「宇納間備長炭」で焼かれた贅沢

宮崎特産の「日向備長炭」は日本三大備長炭の一つ。なかでも宮崎県美郷町で作られた「宇納間備長炭」は高価ながら、長時間じっくりと燃え続け、匂いも少ないなどの特徴があり、全国の料亭などで重宝されている。

この炭でじっくりと焼き上げた焼き鳥が3本出てきた。砂肝と手羽は塩、皮はタレ。思わず「なんで、こんなにジューシーなんだ」と口に出た。

宇納間備長炭でじっくりと火を入れた「焼き鳥」

「炭ですね。焼き物は熱源で決まるので。その熱源、炭という文化が、ある意味すごく贅沢で。例えば、お揚げを普通に焼いただけでも、ガスで焼いたのとは全然、違ってくるわけですよ」

「じゃあ」と、厚揚げをお願いする。揚げは都城市の中山間地域、山田町の老舗「田舎とうふ 外枦保豆腐」のものだ。

山田町の老舗「田舎とうふ 外枦保豆腐」の厚揚げを炭火焼きで

カリっとした食感とともに、香ばしさが鼻を抜け、口には豆腐の甘みが広がる。たっぷりとかかった薬味もたまらない。確かに、贅沢を感じる。

見た目だけではなく、味も割烹や小料理屋のレベル。だから地元政財界の関係者も宴席で使うのだろう。雨風を紹介するdancyuの記事に、霧島酒造の江夏拓三 代表取締役専務が映り込んでいるのを、たまたま見つけた。

dancyuの記事にあった霧島酒造の面々が宴に興じる一枚

夏場におでんを休止した理由

2代目、母親の時代にもおでん以外のメニューは存在したが、ここまで種類が増えたのは3代目になってから。宇納間備長炭による焼き物や、イタリアンなどの洋食メニューを追加したのは、この数年のことだ。

炭焼きはまだわかるが、なぜ洋食まで。野村さんからすれば、“遊び”なのだと言う。

「常連さんがワインも飲まれて“もっと遊べよ”と言ってくるから、じゃあアタマ柔らかくして遊んで、もっと面白いことしましょうよと。常連さんほど、喜んでくれます」

dancyuの記事にはワインを嗜む常連客の姿も。じつはこの方、都城市の児玉宏紀 前副市長。野村さんいわく「メニューが広がるきっかけを与えてくれた大切なお客さま」

こうしたメニューの多角化、それを支持してくれる常連客がいたからこそ、「夏場はおでんを休止する」という決断ができた。

雨風も長年、通年でおでんを提供してきた。しかしコロナ禍の只中だった2021年夏、野村さんはおでんの提供をやめ、その代わり、焼き物やイタリアンをさらに拡充させた。理由をこう語る。

「要はガス代です。そもそも、都城であっても夏場は回転が良くないんですよ。おでんって回転が良くないと美味しくならない。そこに輪をかけてコロナです。おでんが出なくても、かかる経費や手間はまったく変わらないので、もうやる意味がないわけです」

3代目として、あらゆる変革に挑んだ野村さん。ついにはおでんの提供までやめるとは。しかし、変えたのは「味」だけではない。

初代、2代目の女将に比べ、3代目“大将”の「接客」もだいぶ変わった。

一風変わった「接客」

取材で伺った日、いち客として再訪した記者は、見事に野村さん流の接客術にハマっていった。なにかのエンターテインメントに巻き込まれたかのような錯覚すら覚える、独特な接客だった。

「なんこつ、いただきたいんですけど」「いや、今日はあえてなんこつは出しませんので」「なんでですか?(笑)」「また、ぜひ来てください(笑)。おなか空いてたら、焼き鳥!いく?」「じゃあ、お願いします」……。

取材時にいただけなかった名物「豚なんこつ味噌煮」を頼んだ時のやりとりだ。

後日、再訪した際にいただいた「豚なんこつ味噌煮」。余計な脂が落ち、骨まで柔らかく煮込まれていた

じつは、この日のなんこつは予約客の分で品切れとなっていたのだが、人を見てこんなやりとりに変えてしまう「話術」が、野村さんにはある。

結果、いただいた料理はどれも美味しく、それぞれのうんちくまで聞け、満足できた。

むろん、全員とこんなやりとりをするわけではない。初見、常連、物静か、陽気、いろんな客がいる。それぞれのタイプに合わせ、巧みに対応を変えていく。共通しているのは、「最終的に客が喜ぶ」方向へもっていくことだ。

野村さんにとっての接客とはなにか、聞いた。

「面白い話しましょうか。まだ母親が僕を産む前、若い母が店に立ったんです。その時、お客さまから『味が違う』って言われたらしいです。でも実際は、婆さん(初代)が味付けをしてたんですよ」

「だから、人の舌ってのはいい加減なのであって、要は接客を含めて、お客さまにどう美味しく食べさせるか、感じさせるかが、我々の仕事なんです。お話をするうちに人となりがわかって、 だんだんと楽しくなっていくうちに、味も美味しく感じてくる。そのための雰囲気を作ることが、接客なんだと思います」

女将の絶妙なフォロー

野村さんは、何事にも、自分なりの「理論」が明確にあり、言語化も上手い。早口で論理的かつ冗談も好きで、一言で言えば「ウィットに富んだ頑固おやじ」。ただ、それが不得手な客もいるかもしれない。

繁忙期や満席時など、調理がたてこみ、接客がままならない時もある。しかし、雨風にはそれを見事にサポートしてくれる“女将”がいる。野村さんの妻、史絵(しえ)さんだ。

雨風の女将、史絵さんの出身は埼玉県で、母方の実家は和菓子屋だという

「ごめんなさいね。うち、食べたいものが食べられない(苦笑)。初めていらした方が『カルボナーラ』なんて言おうものなら、『いやいやいやいや』って始まるんです(笑)」

記者の場合、なんこつの注文が“拒否”された際、すかさず女将がこうフォローしてくれた。

「食べたいものが食べられない」くだりは、たまたま記者と野村さんの相性の中で遭遇したものだが、女将いわく「どんなにお偉い方でも、誰にでも態度を変えないというか。こんな調子なんです」。つまり、劇場型の“野村ライブ”が始まる。

それを、“支配人”たる女将が絶妙にコントロールし、バランスをとっている。本人は「客商売はここが初めてで」と謙遜するが、一流の気遣いが備わっていると感じた。

それもまた、小料理屋かと思わせる要因なのか。野村さんは女将のことをこう語る。

「いろいろと試作品を作って、一番お伺いを立てるのは女房なんですよ。だから、我々が面白いと思うもの、やりたいことをやっているだけなんです。(奥さんに)苦労をかけてますけど、苦労しがいがある人生を送ってほしいなと思っています」

野村さんと史絵さん、夫婦で“3代目”なのかもしれない。ともかく、どこまで変えれば気が済むのかというくらい、雨風は3代目で変わった。

だからと言って、歴史と伝統を引き継いでいない、と考えるのは早計だ。野村さんの論によれば、しっかりと継いでいる。

継ぐのは「理念」「考え方」

「継ぎ足し、と言っても、70年前とは素材も調味料も違うじゃないですか。科学的にも成分は10年しか残らないという話もある。だから、完全に同じレシピで継ぎ足しをしても、味はどうやったって変わります」

「でも、理念とか考え方は残せます。それが多分、それぞれのお店屋さんによって代々、継がれること。雨風でなにかと言えば、素材を生かすという方向性。それから、お客さまに喜んでもらうためだったら、なんでもやるということじゃないですかね」

「母親が言っていたのは、きちっとしたものを作ってくださいと。そのためだったら、材料から調理法まで変えてもいいと。すごくシンプルです」

つゆを塩ベースにしたことも、考え方を継いだ結果。おでん以外のメニューを増やしたのも同じで、秋田出身の母親は2代目となってから、九州ではあまり見かけないような山菜料理なども出していたという。

「母親は東北の人なんで、『食べれ、食べれ』って言って、料理をいっぱい並べて。僕も作るだけじゃ満足しなくて、その先に食べてもらって『どう?美味しいかな』って様子を見るのがすごく好きで。それは間違いなく、母親の影響ですね」

雨風にとって暖簾を守ることとは、理念を継ぐこと。「残るためには、どんどん変えていい」というのも、雨風が継ぐ理念の一つだ。

「おでんだけだったら、潰れてた」

「うちは時代でやり方を変えてきました。爺さん婆さんが始めた当時、ジャングルさんのようにキャベツも豚なんこつも入れてないし、味付けも違うし。母親の代でもできること、できないことがありました。僕はその息子なんで、また壊せるわけです」

「雨風って屋号には『甘いものも辛いものも出すお店』っていう意味があると解釈してるんですが、美味けりゃなんでもいいわけです。だから、50年、100年後を見据えて、変えていくものはポンポン変えていきましょうっていうのが、うちの店の考え」

「時代とお客さまに合わせて、変えていく。うちが続いてるのはそのおかげです。『おでんだけだったら、とっくの昔に潰れてた』って、母親も言ってましたから」

つゆを醤油から塩にしたのも、躊躇なく値上げするのも、夏場のおでんを休止して焼き物を充実させたのも、独特な接客にこだわるのも、すべては雨風を次代へつなぐため。雨風が雨風であり続けるため、雨風は変わり続けているのだ。

3代、世襲でやってきた。跡継ぎは、どう考えているのか。

「まだ中1の息子はいますけど、僕もそうされたように、継がせようとは思わないし、継ぎたかったら継いでくださいと。もっと言えば、ちゃんと儲かって、面白くて、やりたいと思えるものを残すのが、我々の役目です」

野村さんは跡継ぎをやりたくなくて東京へ出たが、結果として、自分の意思で継いだ。母親は、野村さんにそう思わせた。今度は野村さんが息子にそう思わせる責務がある。これも雨風の伝統ということか。

都城おでんとは、なんなのか

都城おでんを代表する2つの店舗を取材し終えて、都城おでんとは果たしてなんなのか、考えさせられた。

雨風は、ジャングルとあらゆる意味で違う。おやしやなんこつといった具材、あるいは味でくくることはできない。ただし、強く共通している項もある。それは「看板を守り、次代へつなぐ」ことへの執着だ。

「2号店は?」との問いに、「あり得ないですね。立つ人が違うだけで、味が変わるって言いますから。ここで行列するくらいが面白くないですか」と野村さん。看板を守るため、多店舗展開などの拡大をしない、という考えも共通している。

中身は違えど「料理への執着」や「とんでもない多忙」も通ずる。

都城おでんとは、なんなのか。それは「おでん“なのに”とことんこだわる店が多い」ということなのかもしれない。あるいは「おでんへのリスペクトが高い文化」を指すのか。

雨風に至っては、そのこだわりはおでんの枠をはみ出している。「素人が継いだ」と言う野村さんだが、今ではすっかり料理人としての矜持がある。

「こっちがいくら偉そうなこと言ったって、お前が出したの全然、美味しくねえじゃねえかって言われたら終わりなんで。もう全部、これですよね」。そう言って、料理を指さした。

おでんも和食も洋食も。思わぬ発見や喜びがある雨風。その味と接客に惹かれ、今宵も食通が暖簾をくぐっている。

次回に続く)

 

雨風
住所 宮崎県都城市上町5-14
電話番号 0986-22-2398
営業時間 18:00~23:00
定休日 日曜、祝日
アクセス JR「西都城駅」より8分
SNS

営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。

 

  • 筆者
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井上 理(いのうえ・おさむ)

フリーランス記者・編集者/Renews代表。1999年慶應義塾大学総合政策学部卒業、日経BPに入社。「日経ビジネス」編集部などを経て、2010年日本経済新聞に出向。2018年4月日経BPを退職。フリーランス記者として独立し、Renews設立。著書に『任天堂 “驚き”を生む方程式(日本経済出版社)』『BUZZ革命(文藝春秋)』。

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