楽天市場で4度も総合賞で上位
JR都城駅の西側、日豊本線の高架をくぐった先の街道沿いに、一際目を引くオシャレなスポットがある。「タマチャンショップ都城本店」だ。
ショップとカフェを併設する建物内は洗練された木目調の内装で統一。都内の人気雑貨店のような雰囲気を醸し、訪れた昼どきにはランチを楽しむ女性客で賑わっていた。
この店は、コロナ禍でも急成長するネット通販「タマチャンショップ」のリアル店舗。都城市に本拠を構える有限会社九南サービスが手がけており、同社の2021(令和3)年度(2022年8月期)の売上高は前年比1.3倍の約50億円と絶好調だ。
「以前から自然食品や美容をコンセプトにした商品展開をしていました。コロナ禍で人々の健康意識が高まり、追い風になっています」。従業員から「キャプテン」と呼ばれ、親しまれているタマチャンショップの代表、田中耕太郎氏(40歳)はそう話す。
顧客の約9割が女性というタマチャンショップは、コロナ禍以前から頭角を現し、大手のネットショップに負けない存在感を見せていた。
実力を裏付けるのが「楽天市場ショップ・オブ・ザ・イヤー」での受賞歴。同アワードは楽天市場に出店する全店舗(2023年2月時点で約5万5000店舗)の中から優れたショップを選出するもので、タマチャンショップは2016(平成28)年から2022(令和4)年までに4度も総合賞で上位に入っている。
このネットでの成功を機に、古くから持っていた地元のアンテナショップを2017(平成29)年にリニューアルすると、すぐさま人気のスポットとなった。リアル店舗は都城市内にとどまらず、宮崎市や鹿児島市、福岡市、大阪市、福井県鯖江市にも出店している。
タマチャンショップの成長の秘密を解き明かす前に、経緯をおさらいしておこう。
注文殺到も束の間、キャンセルの嵐に……
ネット上のタマチャンショップは、今年で創業30周年を迎える九南サービスの一事業として2003(平成15)年にスタートした新規事業。いまや同社の売り上げの約7割を稼ぐ主力事業となり、九南サービスは“ネット企業”になったと言える。
九南サービスは、耕太郎氏の父である田中茂穂氏(69)が1993(平成5年)年に創業。もともと都城市で3代続くしいたけ農家で、原木栽培のしいたけ販売をメインにした実店舗をオープン。そこで自然食品や農林機械の修理なども取り扱っていた。
2000年代に入ると、海外産の安価なしいたけが流通するようになり、日本のしいたけ農家が徐々に低迷。それを目の当たりにした茂穂氏は「有機栽培で質の高いしいたけを全国の消費者に届け、もう一度農業を活性化させたい」と意気込み、2003年という早い時期にインターネット通販を始めた。
ショップ名は「自然の都 タマチャンショップ」。当初は、本業であるしいたけをメインに扱っていた。タマチャンとは、茂穂氏の妻の名前に由来する。小さなeコマース(EC)事業が立ち上がって間もなく、耕太郎氏が家業に関わるようになった。
耕太郎氏は福岡県の専門学校を卒業後、上京。番組制作会社やリサーチ会社で3年ほど働き、結婚を機に都城市へUターンした。「ITの知識がまったくなかった」と言う耕太郎氏は、PCの勉強をしながら、昼間は従業員の既存の仕事を、夕方ごろからはタマチャンショップの運営を見様見真似で手伝うようになった。
2004(平成16)年には「楽天市場」に出店するも、7〜8年は苦しい時代が続いた。「しいたけ専門の通販として始めたけれど、あまりに市場がニッチでした。徐々に、『マンゴー』や『野菜』など食品を増やしたけれども、当時は今ほどネット人口も多くなく、鳴かず飛ばずだった」と耕太郎氏は回想する。
そんな中でも、いくつかのチャンスがあった。
2005(平成17)年に全国区のテレビ番組で同社の豆商品がダイエットに効くと取り上げられ、それまで一日に1、2件しか来ない注文が放送後、2000件ほどに跳ね上がった。当時は耕太郎氏一人でEC事業を切り盛りしていたため、寝る間も惜しんで受注処理に当たった。
ところが、番組で紹介された調理方法が不適切だったため、購入者が食中毒を起こし、数日経つと今度はキャンセルや苦情が殺到した。注文を受けて商品を発送してはキャンセルという状況が1〜2カ月も続いた。
怪我の功名だったのは、一家総出で24時間対応したことで「親切にサポートしてもらえた」とショップの信用度が上がったこと。サイトへのアクセスが10倍、20倍と増えたことで、ほかの商品の売り上げアップにもつながった。
もう一つのチャンスは、2007(平成19)年に東国原英夫氏が宮崎県知事に就任したことで巻き起こった「宮崎ブーム」だ。地元の食材を手広く取り扱っていたタマチャンショップにとっても追い風となった。それでも、九南サービスのEC事業が飛躍することはなかった。
ネットの普及が進むにつれ、楽天市場の店舗数も急増。競合他社との価格競争に陥ってしまい、タマチャンショップはその渦に埋もれてしまった。
そこからどう全国区のショップへと駆け上がったのか。
お母さんのような安心できる存在になりたい
「自分たちが本当にやりたいショップに作り変えよう。1年やってダメなら、撤退するしかない」――。
2012(平成24)年ごろ、耕太郎氏はそう心に誓い、ショップのコンセプトやビジョンを一から練り直した。初めてデザイン会社に依頼し、サイトデザインやロゴも刷新。そのとき生まれたのが、「ニッポンのおかあちゃんになりたい」「しあわせ食を、九州から」といったメッセージである。耕太郎氏はこう話す。
「お母さんが提供するものは安心・安全なのだと子どもは信じています。僕たちのプロダクトもそうありたい。タマチャンショップなら間違いないと信じてもらえるような商品作りを心がけるようになりました」
そして、商品にはできるだけ地元・宮崎や九州の食材を使うようにした。
一方で、コンセプトやビジョン、デザインは刷新しても、タマチャンショップというネーミングは変えなかった。
「タマチャンショップって父親が純粋な気持ちで母親の名前からつけたのですが、僕が運営するようになって、マザコンみたいに思われちゃうのは嫌だなと(笑)。いずれフェードアウトして名称変更しようかなと思っていました」
「ですが、アザラシの『タマチャン』が話題になったり、キムタク(俳優の木村拓哉さん)が犬の『タマちゃん』と共演するテレビCMが始まったりすると、ネーミングに親近感を感じてもらえるようになって。あきらめて、タマチャンショップでいこうと腹を括りました」
この一連のリブランディングをきっかけに、タマチャンショップは急成長への階段を登り始める。上述した楽天市場での受賞もこの頃からだ。
もちろん、これらはきっかけに過ぎない。その裏側における企業努力や戦略があってこそのリブランディングだ。
実績を上げて生産者の信頼を勝ち取る
リニューアルを機に、まず耕太郎氏が熱心に取り組んだのが商品開発。もともと父の代から脈々と続いていた地元の生産者や食品メーカーなどとのつながりが生きた。
「『こんな商品を作りたい』と思ったときに、素材を仕入れることができたり、別の生産者を紹介したりしてもらえるのが大きかった」と耕太郎氏は言う。現在の取引先は約100社。うち30社が地元の会社である。
ただし、顔見知りだからといって、なんでもかんでも融通が効くわけではない。相手も商売だからだ。どのようにビジネスパートナーとしての信頼関係を構築していったのか。
「僕らは作る人と使う人をつなぐ、というビジョンを掲げています。多くの生産者さんは作るのは得意だけど、お客さまに届けるのは苦手。そのあいだに僕らが入って、生産者さんにしっかりと販売実績を作ってあげる。この積み重ねが生産者さんからの信頼を増し、商品力につながっていったのだと思います」
そうした生産者から仕入れた食材を使った商品の中で、いくつかのヒットも生まれた。一つは、2016年に発売した美容専門プロテイン「タンパクオトメ」だ。
「あるモデルさんと出会って、たんぱく質の重要性を伝える商品開発を一緒にしようとなりました。当時、女性専用のプロテインはなかったし、プロテインは太ると思われていたため、これを覆したいと考えました。そうして生まれたのが、大豆などを原材料にしたタンパクオトメです。最初はそこまでヒットしませんでしたが、3年目からは売り上げが急上昇。時代が追いついたと実感しましたね」
もう一つ、ロングセラー商品となっているのが、「雑穀米」シリーズ。最初の発売は2007年。21種類の雑穀をブレンドした「21世紀雑穀米」は健康志向の女性から注目を集め、ヒット商品となった。
「発売当時、すべて国産の雑穀米はありませんでした。ショップとしてほとんど実績がない中、企画提案しても生産者さんから冷たくあしらわれたこともあります。ただ、結果的に1日1000個も売れる大ヒットとなり、生産者さんも積極的に宣伝してくれたり、新たな農家を紹介してくれたりして、商品力がどんどん高くなっていきました」
2015(平成27)年には、30種類に増やした「三十雑穀」を発売。これまでに累計220万個以上を販売するまでになっている。
そのほかにも、創業100年以上の老舗味噌屋であるヤマエ食品工業と共同開発した「三十雑穀みそスープ」や、地元産の大豆である「みやだいず」を原料にした「まめミルク」といった商品も人気を博しているという。
若者の共感を呼んだ施策
もう一つ成長要因を挙げるとすれば、サステナビリティ(持続可能性)への取り組みだろう。
タマチャンショップは2018(平成30)年ごろから、商品パッケージを見直し、ストローなどのプラスチック素材を紙に変えたり、インク素材をさとうきび由来のバイオマス原料に変えたりするなど、サステナビリティへの取り組みを積極的に推進している。
直近の例でいうと、2023(令和5)年2月より順次発送する新商品「バレンタインナッツチョコ(とろけるカカオ&ビターカカオ仕立て)」は、パッケージを含めてほぼすべて自然由来の環境配慮型にする徹底ぶりだ。
サステナビリティの取り組みは商品だけではない。タマチャンショップで商品を購入した顧客とともに、インドネシアに森を作る「タマチャンの森プロジェクト」という環境貢献活動も始めた。
こうした取り組みが共感を呼び、ファンを増やし、売り上げ増につながっていく。さらには、新たな人材を惹き付ける大きな武器にもなりつつある。
「特にうちで働きたいと言ってくれる若い子たちからは、商品よりも、森を作る活動や、パッケージを変えることに対する評価をいただいています。僕としては従来から自然にやってきたことですが、数年前まではプレスリリースを出すと『アピールしてるんだろ』という風潮がありました。でも、今はそうではなく、Z世代の子たちからかなり共感をいただいている。若者の求心力という意味では、すごく大きいと思っています」
具体的な動きもある。北九州市立大学の学生が環境について学ぶプログラムの中で、タマチャンの森プロジェクトを知り、プロジェクトに関わりたいという思いから、22年10月に北九州市で開催されたイベント「食肉祭2022」に共同出店。そこで温活スープの提供や商品販売、環境に配慮した取り組みの広報活動などを一緒に実施した。
タマチャンショップを支える“情熱”
ここまで見てきたように、タマチャンショップの成長要因は、ネットやITに閉じた話ではない。人のつながりや商品開発力など、むしろアナログの要因が大きい。
耕太郎氏はその根底にある最も重要な要素として「情熱」を挙げる。ネットやITは「道具」にすぎず、それを使いこなす人間の思いや情熱で左右されるという理由からだ。
「仕事にAIなどがどんどん入ってきたとき、最後は情熱が差別化になると思います。自分の熱量をいかに発信していくかがカギになるんじゃないかなという気がしています。僕はそれを商品というプロダクトで伝えていきたい」
加えて、東京に代表される都会へのライバル心、田舎でもやれるんだという反骨精神も、耕太郎氏の情熱の“燃料”となっている。
「僕自身が(都城に)絶対に帰ってきたくはなかったと思っていたタイプ。だからこそ、Uターンしたからには、自分の会社だけは東京に負けたくはなかった。もちろん東京のことはリスペクトしていますよ。だから、どうやったら地元で東京レベルの仕事ができるかを考えてきました」
それを実現するために、常日ごろから社員にも発破をかけている。
「うちのチームだけは東京に負けない意識でやろうと、ずっとスタッフにも言ってきました。都城の人たちは“南国時間”でのんびりしているけど、うちの会社だけは“東京時間”でやっていこうと」
広報やマーケティングの面では東京の若手クリエイターを積極的に登用し、「TikTok」や「YouTube」などの制作から、最新トレンドを取り入れた情報発信に力を注いでいる。
都会に対するライバル心は決して独りよがりのものではない。タマチャンショップの成功によって、ほかの地域にも元気を与えたい。これが耕太郎氏の真の願いである。
「自分が高校生の時にそうだったように、今の高校生も、田舎に対して否定的だったり、都会にあこがれていたりしています。でも、地元にいてもこんなことができるんだよ、というのが伝えられたらうれしい。さらに都城を通じてほかの地域の方々にも『地元でも頑張ればできるんだ』と感じてもらいたい。その事例に僕らがなれればいいなと思います」
1万人規模のコミュニティーで海外勢と戦う
今、耕太郎氏の情熱の矛先は、海外へと向いている。現状、海外からの注文は5%程度だが、5年以内に売り上げ比率の3割にもっていき、ゆくゆくは5割に伸ばしたいと意気込む。
オフラインの販売チャネル開拓にも挑戦する。海外のカフェやレストランに原材料として商品を卸していくため、2023年2月に欧州で販促イベントを計画している。欧州で約30年の輸出入ビジネスの経験がある都城出身者と偶然知り合い、昨年パートナーシップを結んだ。ここでも人のつながりや地縁が生きている。
世界戦略はこれにとどまらない。2022年8月に開始したオンラインコミュニティー「タマリバ」も武器になる。
「海外展開を考えたときに、お客さまやファンも巻き込んで、一緒になって企画を立てたり、プロダクトやカルチャーを作ったりするほうが、魅力が増すと思います。なによりも楽しんでもらえると思うんですよね」
例えば、「ドイツとフランスでこの商品を売り込もうと思って頑張っていますが、ほかに売り込んだほうがいい商品や、何かアイデアがあればぜひください!」といった書き込みに、タマリバの会員メンバーが反応し、事業や商品開発に参加できるというかたちだ。
そこに、金銭的な見返りはあまり必要ないと耕太郎氏は考えている。
「金銭関係がなくても成り立つようなものにしたい。自分の思いと共感できる人たちとタマリバで出会い、実際に商品というカタチにして、さらには海外にも売り出していけるという面白さや醍醐味が一番のインセンティブだと思っています。商品が世界でヒットしたら刺激になると思うし、僕らが挑戦していく姿を見せていけば、さらに応援してもらえるはず」
タマリバの会員数は既に1500人に上る。社員を入れたら1600人を超え、もはや大企業に匹敵する規模だ。
「これが1万人になってくると米Apple(アップル)にも負けないんじゃないかなと。今後はきっと海外企業がライバルになります。海外企業に負けないためには、1万人くらいのアイデアや発信力が不可欠だと思っています」
タマチャンショップが立ち上がってから丸20年。いろいろな変遷があったが、「やはりゴールはしいたけの良さを伝えるところ。しいたけは企業文化やブランドの心臓部だと思っています」と耕太郎氏は力を込める。
しいたけは祖業であることだけでなく、しいたけをはじめとするきのこ類は生態系における循環システムの維持にも役立っている食材で、人間と自然環境にとってなくてはならないものだからだ。主に室内で育てる菌床栽培は1〜5カ月程度だが、自然栽培は違う。
「今の世の中は海外産や室内栽培のしいたけが多数を占めますが、僕らは2年かけて屋外で育てています。しいたけはサステナビリティの時代にもマッチする食材なのです。この思いを広めていきたい」
こんな情熱を持った経営者がいる都城の未来は明るいはずだ。
(次回に続く)
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