深く多面的に、考える。

人口減に克つ #04

都城で働くため、つなぐ移住の「窓口」 “先輩”移住者の声 [仕事編]

  • 移住者にとって、最も不安な要素の一つは新たな「職場」や「仕事」の確保。
  • “先輩”移住者たちは、移住後の生活基盤をどう構築して来たのだろうか。
  • リアルな声や本音から、移住者と地域をつなぐ仕掛けの存在が際立った。

テラスタ最上階に広がる異空間

ホテル テラスタの「テラス スイート」。石づくりの庭がゲストを出迎える

都城市の中心市街地にある中核施設「Mallmall(まるまる)」。そこに隣接する複合施設「TERRASTA(テラスタ)」の最上階には異空間が広がっていた。

テラスタは、上質で洗練されたホテルを備える。2024(令和6)年8月、その7階にある2部屋の大きなスイートルームを案内してもらった。

和や禅を感じさせる石づくりの庭が室内で出迎えてくれる「テラス スイート」に、開放的なガラス張りのバスルームと大きなアイランドキッチンが部屋の中央に鎮座する「ステージ スイート」。オープンからまだ2年余りということもあり、すべてが真新しい。

テラスタの名にふさわしい広大なテラスを備える「ステージ スイート」

ともに約80平方メートル(㎡)もの広さがあり、ソファなどが置かれた広大なテラスを備える。テラスからは視界をさえぎるものはなく、都城にいることを忘れさせるほど贅沢な空間。こんな場所があるとは……。

案内してくれたのは、テラスタの藤原貴志さん。テラスタではまだ3年目だが、ホテルのプロフェッショナルとしてのキャリアは25年目になるベテランの“ホテリエ”だ。

「ステージ スイート」の客室を案内してくれたホテル テラスタの藤原貴志さん

彼は、2021(令和3)年10月、福岡県北九州市から都城へ移住して来た移住者でもある。

ベテラン“ホテリエ”、藤原貴志さんの挑戦

藤原さんは生まれも育ちも北九州市。40代で生まれ育った町を離れ、いわゆる“ミドルエイジ”と言われる年齢で、縁もゆかりもない都城市に移住して来た。

なぜ、都城に移住を決めたのか尋ねると、「妻の存在が大きかった」と語ってくれた。

小倉時代のお客様と。縁は続いている(藤原さん提供)

北九州市の小倉にある老舗ホテルで15年間働いた藤原さんは、退職した後、飲食店やホテルサービス派遣などさまざまな仕事へとチャレンジして来た。しかし、慣れない仕事への負担は大きく、体調を崩してしまったという。

そんな姿を見て、最初に移住の話を持ち出したのが藤原さんの妻、ともみさんだった。

もともと祖父母が都城市に住んでおり、ともみさんも小学校1年生の夏まで都城で暮らした経験がある。その後、宮崎県内の各地を転居するが、祖父母がいる都城へはたまに訪れていたため、知らない土地ではない。

ただ、都城に住んでいたのは何十年も前のこと。藤原さんも、結婚の挨拶で初めて宮崎市や都城市を訪れた程度。親戚以外に知り合いはほとんどいないため、実際は夫婦2人で新天地に移住した格好だ。

都城への移住に向け、藤原さんが最初に考えなければいけなかったのは仕事だった。

「当時は、自分の経験した仕事であるホテルとか…そういったものがそもそも都城にあるのか、わからなかった。自分らしく働ける場所があるのか、といった不安がありました」

当初は「自分にあった職が見つかるのか不安があった」と語る藤原さん

それまでいたところよりも小さなまちでの仕事探しについて、どのようなことを考え、どんな苦労があったのだろうか。しかし、意外にもそこまで大きな苦労はなかったという。

「移住・定住サポートセンター」の支え

「もともと住んでいた小倉のハローワークに行って、都城市の職場を探していて。ちょうど1年後にオープンを迎えるテラスタのオープニングスタッフを募集していたんです」

長年の経験を生かせるため、職場探しはホテルに絞り、運良く、オープンを2022(令和4)年4月に予定していたテラスタの人材募集に出会った。

ただ、問題はその後。藤原さんのように遠方から移住を検討している人は、土地勘のない場所へ何度も足を運び「どこに職場があるのか」「住む場所からのアクセスはいいのか」といったことを検討する必要がある。

仕事が決まってからの動きについて藤原さんに聞くと、都城市の移住支援制度を活用した仕事探しの体験について、詳しく語ってくれた。

都城市役所本庁舎の人口減少対策課に設置されている「移住・定住サポートセンター」

「(テラスタの)面接の機会をいただき、その前に妻と一回行ってみようという話になりました。テラスタを見に行ったりとか、面接場所を拝見したりとか。何度も行ったり来たりしました。その時に本当に支えとなったのが、『移住・定住サポートセンター』なんです」

移住に向けて動き出した藤原さんは、まず、市役所内の「移住・定住サポートセンター」に“登録”をし、都城市へ移住する準備を進めていった。

同サポートセンターは、移住を検討している人にとっての最初の「窓口」。市役所内にあり、移住後の住居物件や就職先など、「い(移住)・しょく(職場)・じゅう(住居)」にまつわるあらゆる相談ごとに乗ってくれる。

さらに、宿泊費やレンタカー代の一部を助成する「お試し滞在制度」や、地元企業への転職に伴う引越し代金や家賃の一部を助成する「転職応援補助金」といった経済的な支援の窓口も担っている(注:「転職応援補助金」は2022年度までの制度)。

「私の場合はマイカーだったので、滞在先の宿泊費と最終的な引越しの費用が出たと思います。あとは、引っ越して住み出したあとに、都城市で使える電子クーポンをいただきました。市役所の担当者を何回も訪ねて、色々と教えてもらって。ネットでわからないところは行って聞いてみよう、みたいな感じで。忙しいところ、何度も助けていただきました」

転職活動をしていた当時はまだ、本格的なコロナ禍に入る前。リモート面接はまだ普及しておらず、職場探しのためには、現地に出向く必要があった。当然、往復するための交通費や宿泊費などの問題も出てくる。

藤原さんの場合、職場候補は小倉にいながらにして見つけることができたものの、移住・定住サポートセンターが面接や街の下見などの経済的負担を軽減する役割を果たしてくれた。

開放的なホテル テラスタのロビー。藤原さんは小倉から下見や面接のために通った

「移住してもいいんだ」

「移住・定住サポートセンターを利用して、気持ち的な変化はありましたか?」という質問に「だいぶ楽になりましたね」と藤原さん。この移住・定住サポートセンターは、ほかにも大きな「安心感」を与えてくれたという。

「サポートセンターも含めた都城市の移住支援を受けて、『自分も移住していいんだ』っていうふうに思えて、心が楽になりました。そこは、大きく感じましたね」

当時は、2023年度から始まった市独自の「移住応援給付金」がまだない時代。お試し滞在制度や転職応援補助金などはあったが、そうした経済的支援よりも、むしろ移住者を迎え入れようとする市の「姿勢」が藤原さんには響いたと話す。

その姿勢は、職や住居なども紹介してくれるサポートセンターの存在や、お試し滞在制度・転職応援補助金といった経済的支援、移住者に向けた情報発信など、移住支援制度の充実ぶりから感じられた。制度が充実しているということは、暗に「ここは移住者を歓迎していますよ!」という都城市の姿勢を発信している。そう、藤原さんは感じ取った。

加えて、親身になってくれるサポートセンターの職員など、あらゆるところから「来てほしい」という姿勢を感じられた。

「都城で働きたい」「移住したい」。その思いを強くした藤原さんは、何度か都城に通い、テラスタの面接も見事、通過。その頃には移住への心理的なハードルもだいぶ低くなっており、転職と移住を確定させた。

「採用が決まってから、本格的に引っ越しの準備を進めました。新しい場所ができて、採用されやすかったのはラッキーだったって、家族でも話していました」

そう藤原さんは謙遜するが、藤原さんが積み上げた経歴と移住に対する意欲があってこその採用。移住後、新天地で藤原さんは新たなキャリアを踏み出した。

「お酒」で広がる人との縁

ホテルテラスタの開業後は、ホテル内の高級レストラン「鉄板焼 都雅」の責任者として、培った経験を生かした。

2024年に入って、客室を担当する宿泊部へ異動。「フロントデスク・キュレーター」という肩書きで、ホテルのお客様を出迎え、もてなしている。

今年、客室担当の宿泊部へと異動した藤原さん。フロントに立つこともある

都城でも品質の高いサービスレベルのなか、やりがいを見出している藤原さんは、「自分の過去のキャリアをテラスタの成長にもっと生かしていきたい」と意欲を見せる。

妻のともみさんと都城市内のバーで(藤原さん提供)

一方で、プライベートも充実してきたそうだ。藤原さんが都城に移住した時、「周囲に全く知り合いがいない状態だった」というが、好きな「お酒」や「飲食店めぐり」をきっかけに、世界が広がっている。

もともとお酒が好きだった藤原さんは、地元の人の縁で、お気に入りの「酒屋」を見つけた。よそにはないお酒も置いてある老舗の「さいしょ酒店」だ。今では店主と仲良くなり、行きつけになっている。店内では会話も楽しむようになった。

「自分が県外出身者という話になれば、親身になって困っていることを聞いてくれたり、お酒が好きだと言えば、他にお酒が美味しい店を紹介してくれたり。妻以外に知り合いがいなかった中で、人とのつながりを広げていただきました」

「さいしょ酒店」の店主一家と(藤原さん提供)

移住者をよそ者扱いするのではなく、困っていれば助けてくれる。つながりも広げてくれる。そうした人の温かさも都城市の魅力だと語る藤原さん。今後の展望について、笑顔でこう答えた。

「都城は、まだまだこれから成長するまちだと思っているので、その点でも移住してよかった。どんどん寂しくなっていく街に妻と2人で住む、という将来はまったくありません。最近は『行ってみたいお店のリスト』も増えてきて、都城での今後の生活が楽しみです」

不安を抱えながらやってきた移住者は、ほかにもいる。

「NiQLL」で働く太田佑輝さんの挑戦

「NiQLL(ニクル)」を案内してくれた太田佑輝さん

「県外に営業に行った時、『NiQLL(ニクル)に行ったよ!』と言ってもらえるとうれしいですね。本当に色々な体験をさせてもらっているので、ありがたいなと思っています」

そう話すのは、「『道の駅』都城 NiQLL(ニクル)」で働く太田佑輝さんだ。

2023(令和5)年4月、リニューアルオープンした「『道の駅』都城 NiQLL(ニクル)」

ニクルは、もともと「道の駅 都城」があった場所に2023(令和5)年4月、リニューアルオープンしたばかり。「肉と焼酎」を中心に都城を代表する特産品がずらりと並び、雨天でも室内で子どもが楽しめる遊具も設置されている。オープンから1年間の来場者は146万を突破。市が目標としていた100万人を大きく上回った。

太田さんの話では、土日は約5000人、平日は2000〜3000人くらいが訪れ、もう少しで累計の来場者数が200万人に到達するとのこと。都城市で今、特に盛り上がりを見せているスポットの一つだ。

ニクルでは肉・焼酎のほか、地元で採れた新鮮な生鮮食品が並ぶ

2022年4月に移住してきた太田さんは、兵庫県神戸市出身の27歳。移住者の中では比較的、若い。大学卒業後、ビニールハウスを建てる全国規模の会社に入社。入社後、配属された先は宮崎市だった。

宮崎市で生活する中で、都城市出身の妻と出会って結婚。出産を機に妻の地元である都城市への移住を決断することにした。

ただ、もともとは兵庫県から移り住んだ太田さん。都城市には、妻の親戚関係を除けばまったく知り合いがいない。

知らない土地に移住して働くことに不安はなかったのか聞くと、当時を振り返り「最初は不安はありました」と太田さん。そんな不安を払拭したのは、前出の移住・定住サポートセンターだった。

サポートセンターと求人サイトの違い

都城市への移住を本格的に考え始めた太田さんも藤原さん同様、まず仕事を探し始めた。そこで、見つけたのがニクルのリニューアルオープンに際した採用募集。出会いは、移住・定住サポートセンターだ。

自身の移住について振り返る太田さん

「最初は本当に職が見つかるかどうか、不安でした。そこでサポートセンターへ相談して、担当の方がすごく親身になって話を聞いてくれて。ありがたかったですね。『雇用コーディネーター』の方が選択肢として提示してくれた職場の一つがニクルでした」

じつは当時、サポートセンターと同時並行するかたちで、インターネットの求人サイトを使い、自分でも仕事を探していた。しかし、途中からはサポートセンターのほうだけに絞ったという。

インターネットでの仕事探しとサポートセンターの違いについて、太田さんは感じたことを語ってくれた。

「ネットには情報がたくさんありますが、ただ条件が並んでいるだけですよね。それよりも、実際に現地に住んでいる人から『あなたにはここがいいんじゃないか?』という、人伝いの情報を提案型でもらえるのはいいなと思いました」

サポートセンターを利用した職場探しでよかったところはなにか。太田さんは以下の3点を挙げてくれた。

1つ目は、「自分のバックグラウンドを生かしてくれる」こと。相談すると担当の雇用コーディネーターが対応して、太田さんのこれまでの経歴や希望の条件などをきちんと聞き取り、それを踏まえていくつかの職場を紹介してくれた。

2つ目のポイントは、「就職した後も支援してもらえた」こと。「就職した後にも2回ほど電話がかかって来て、その後の様子を気にかけてくれたのがありがたかった」。

仕事を紹介して関係性が終わるのではなく、その後も問題なく生活が送れているか、悩みはないのか、そういったことまで気にかけてくれるのは、自分自身のコミュニティがほとんどない状態で移住してきた太田さんにとって、なによりもうれしいことだった。

そして、太田さんが3つ目のポイントとして挙げたのが、「移住に関する総合的なサポート体制」。インターネットの求職サイトは職場紹介にとどまる。しかし、サポートセンターはそれ以外の移住にまつわるあらゆる支援もしてくれる。「都城市で使える支援金などの情報も教えてもらい、移住する引越し代補助や一年分の家賃支援などを受けられました」(注:同支援は、現在は終了)。

移住後の生活に必要なことをトータルでサポートし、寄り添ってくれるのは、求人サイトにはない移住・定住サポートセンターの魅力だろう。

広がる「活躍の場」、増す「やりがい」

太田さんはニクルのSNS運用を一手に任されている

結果、ニクルへの就職が決まり、オープンから携わった太田さんが最初に任された仕事は、Webサイトの制作とSNSアカウントの運用だった。

Webサイト制作は専門分野ではなかったが、多少勉強していたこともあり、慣れないながらも完遂。「Instagram(インスタグラム)」などのSNSについては立ち上げから運用までを担い、今でも一手に任されている。

「LINEを、インスタを見たからニクルに来たよとか、そういう声をいただくと、頑張ってきてよかったなと思います」

最近では、SNS運用以外の仕事も増えてきた。たとえば、県外の百貨店やスーパーで都城市の特産品を置いてもらうための営業活動も任されている。

その努力が実り、全国各地のスーパーや百貨店に扱ってもらえるようになった。仕事の手応えについて、「今は種をまいているところなので、今後がさらに楽しみです」と笑顔で語る太田さん。その活躍の場は、さらに広がりつつあり、やりがいも増している。

都城市でも屈指の人気スポットとなったニクルは、週末や連休ともなれば、かなりの数のお客さんが訪れる。店舗の人手が足りなくなれば、メンチカツの店舗に入り、お客さんへの接客をすることもある。

人手が足りない時は店頭で接客をすることも

なにより、自身の仕事が農業生産者のためになっていると実感できていることが、うれしい。

「農業に関わる仕事がしたい」という思いから、社会人キャリアの最初に「ビニールハウスの営業職」という道を選んだ太田さん。ニクルでは、前職と比べると生産者との直接の関わりは減ったものの、また別のやりがいを感じている。

「ニクル自体、多くの生産者の方とつながっています。ここに来られるお客さんを増やす、あるいは全国に特産品を広めることが、生産者の方を支えることにもなる。ニクルでの仕事が巡り巡って生産者のためになっていることに、やりがいを感じています」

よそ者扱いは「まったくない」

結果として、ぴったりの仕事内容に出会えた太田さん。人付き合いも良好だったようだ。

職場で「よそ者扱い」を受けることは「まったくなかった」。特に、最初不安だった時、部長からかけてもらった言葉が今でも印象に残っている。

「まだ入ったばかりの頃、今の部長に『なんでも好きなようにやっていいから、応援はこっちでするから』と言ってもらえたんです。仕事を任せてもらえたことで、職場の仲間からの信頼を感じ、仕事に打ち込めました」

休日は家族でいろんな場所へ出かけ、都城を満喫。写真は「エムズガーデン」での1枚(太田さん提供)

ほかに印象深かったのは、育児休暇(育休)を申請した時のこと。もうすぐ第2子が生まれるとあって今年7月、育児に専念するため育休を申し出た。

ほとんどが50歳代以上という職場で、受け入れてもらえるのか一抹の不安があった。しかし、実際には「取りやん、取りやん。大丈夫だから」と快く言ってもらえたのだ。太田さんは当時を、「あれは、嬉しかったですね。」と笑顔で振り返る。

職場での移住者の割合は、1割程度。しかし、移住者の発言力が弱いかというと、そうではない。

「移住して来た人たちも、それぞれ得意分野がある。それぞれの強みを活かして新たな意見を出し合える環境なので、それはいいなと思いますね」

太田さんの話から、職場全体で移住者の強みを活かそうとしている姿勢を感じる。

移住者以外の職員の年齢はほとんどが50歳代以上。一方、移住者の年齢層は20〜40歳代と比較的若い。移住者の若い力を生かそうとしている職場の姿勢がうかがえた。

太田さんが「受け入れられている」と感じたのは、職場だけではない。

「まったくコミュニティがない状態で都城市に来たんですけれど、職場以外でも、よそ者扱いされていると感じたことはありません。貸家に住んでいるけど、大家さんがウェルカムで、よくお野菜をくれたり、子どものことも気にかけてくれたりします。職場の方も、それ以外の周りの方もすごく温かい人ばかりなのですごく助かっています」

今後の展望について、太田さんは熱くこう語った。

「もっと頑張ってニクルを盛り上げて、たくさんの人に知ってもらいたいです。特に今は営業部隊で動いているので、もっと宣伝して、多くの人にニクルに来てもらえたらうれしいですね」

見逃せない“縁の下の功”

言わずもがなではあるが、移住を検討する人にとって、住む先に仕事があるかどうかは重要な問題。さらに言うと、ただの仕事ではいけない。自分が「働きたい」と思える魅力的な仕事がなくてはいけないだろう。

それが、藤原さんの場合は、自分のキャリアを生かして活躍できるホテリエという仕事であり、太田さんの場合は、新しい経験を積めるニクルでの仕事であった。

問題は、そういった移住者の思いと都城市の企業を上手くつなげられるか、という点だ。

今回、2人の移住者への取材を通して、移住・定住サポートセンターの存在が、移住者の思いと地元企業をつなげる重要な役割を担っていることが垣間見えた。

都城市の急激な移住者増加で、手厚い移住応援給付金などに注目が集まっているが、サポートセンターによる“縁の下の功”も見逃せない。それが、移住検討者の多くを呼び込んでいることにつながっている。

今回の取材では、移住者を迎える地元企業の思いや、ほかの自治体と比較したサポートセンターの強みまで深く知ることはできなかった。機会があれば、迫ってみたい。

次回は、「都城で子育てをする」という観点で、先輩移住者2家族の声をお届けします。

  • 筆者
  • 筆者の新着記事
野田 晃司(のだ・こうじ)

「Think都城」記者。宮崎県都城市在住。医療専門職や会社役員などを経て、2023年にライターとして独立。Web上で公開する様々なジャンルの記事や動画の台本、ホームページのセールスコピーなど、幅広くライティング業務を請け負う。「自分が生まれ育った街に貢献したい」という思いから、2024年、Think都城の現地取材スタッフとして活動を開始する。

  1. 都城で働くため、つなぐ移住の「窓口」 “先輩”移住者の声 [仕事編]

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