深く多面的に、考える。

次代を担う若者の声 #03

唯一無二の「エクステ」美容室 「eimy」オーナー、Z世代の挑戦

最後は、「Z世代」の美容室経営者にフォーカス。女性専用サロン「eimy」の女性オーナーが人気店を築くまでの道のりを追いました。彼女は今、若者のための「環境作り」にも挑戦しようとしています。

予約の取れない美容室

都城市中心部の北側に、霧島酒造本社やユニクロ、MEGAドン・キホーテなどが集結するエリアがある。南北に貫く幹線の国道10号を三股町方面に曲がり少し進むと、ひときわ目を引く真っ白なコンテナハウスが見えてきた。カフェなどの飲食店かと思いきや、そこは美容室。

オーナースタイリストの船木美玖さん(25歳)が2021年3月、23歳の時に独立・開業した女性専用サロン「eimy(エイミー)」だ。

真っ白なコンテナハウスが目立つ女性専用サロン「eimy」

都城の若い女性のあいだでの認知度が高く、「予約の取れない美容室」としても知られている。スタイリストは美玖さん一人。そもそも予約枠が限られていることに加え、既存客の多くが帰りに次も予約していくため、いつも1カ月くらい先まで予約枠が埋まっているのだという。

開業してからずっとこんな調子で繁盛。リピーターに支えられ、初年度から黒字経営。成功の理由を、美玖さんはこう話す。

美容室「eimy」オーナースタイリストの船木美玖さん

「場所がよくって。それに、コンテナハウスでヒットした感じですかね。10号線から少し入ったところにポツンとあると目立つので、みんな調べてくれるみたいです」

だが、成功要因は立地や外観だけではない。

高校時代、ダブルスクールで美容師免許

幼稚園の頃から美容師に憧れていたという美玖さん。思いは変わらず、2013年、都城高校普通科の「ヘアデザインコース」へと進学した。

都城高校時代の美玖さん

当時、新設3年目だった同コースの入学条件は、宮崎美容専門学校とのダブルスクーリングを受講し、在学中に美容師国家資格取得を目指すこと。高校卒業後に専門学校へ通う必要がない“近道”とも言える。

両親は一般のコースを勧めてきたが、早く美容師になりたかった美玖さんは「そこに入れてくれないなら、もう高校には行かない!」と押し切った。

在学中は、週2日スクールバスに乗って宮崎市内の専門学校へ通い、週3日は都城高校でほかの高校生と同じように学んだ。その頃から、卒業後は東京で就職すると決めていた。「東京は技術力も高いし、キラキラしていて、憧れもあって、すぐに行きたかった」。

2016年、18歳で一路、東京へ。ところが、「3年で“挫折”して帰ってきちゃいました。親としては、あっちでモデルさんとかの専属になって活躍してくるって思っていたんでしょうけど」。美玖さんは、そう卑下して笑う。

なにがあったのか。「東京が嫌でした。それだけです」。順を追っていこう。

「エクステ」との出会い

東京での“修行”時代

まず、専門学校に勧められた東京の美容室に就職するも、1カ月で辞めた。「土地勘がないまま入社しちゃったけれど、東京といっても下町。やることの多くは白髪染めで、思い描いていた美容人生と違った」。

理想に近づこうと、原宿・表参道にある人気店の門を叩いた。若い世代から人気のモデルなども通う有名サロン。「数百人受けにきて、数人が受かるくらい」の狭き門だったが、美玖さんは見事くぐり抜けた。

ここで、今につながる技術に出会う。「エクステ」だ。

エクステとは、「ヘアーエクステンション」の略。頭髪に直接つける毛束(つけ毛)のことで、利用者のほとんどが女性。その施術自体もエクステと呼ぶ。

「当時は、かんたんで施術も早くて、見た目も自然な『シールエクステ』が流行っていて、自分もやってみたいし、技術も身につけたいと思って、次の店に行きました。『東京でエクステと言えばそこ』と言われるくらい、そのお店はエクステでも有名でした」

職場の先輩は技術や接客に厳しく、妥協は許されない。練習は強制で、終電で帰るのが当たり前。それでも、最先端のエクステ技術に触れることができる環境に、美玖さんは満足していた。しかし一方で、東京自体が次第に嫌になっていった。

「冷たいです、人が。職場環境がよくても、住む場所があっていなかったので苦しかった。東京は、都城と違って、なんかみんなしれーっとしてるというか、席を譲ってもお礼がないというか……。そういうのが、しんどかったですね。私には」

早く都城へ帰りたくてたまらなかった。それでも美玖さんは踏ん張った。「技術を身につけて一人前になるまでは、さすがに帰れない。『早く帰りたい』が『つらい』に勝って、人より倍は頑張ったと思います(笑)」。

上京して約3年の月日が経った時、帰ろうと決めた。自分のなかで納得がいくまで技術は学んだ。もう東京に未練もなにもない。「地元でシールエクステを流行らせよう!」。期待と希望しかなかった。

フリーランスで美容室を“間借り”

2019年4月、都城へ戻った美玖さんは、フリーランスの美容師として働き始めた。

都城の美容室はどこもエクステを取り扱っておらず、「新しくエクステをやりたい」と懇願しても、「仕入れがリスク」とやんわり断られた。

「自分でリスクをとって、稼いだぶんのいくらかを払ってくれるなら、使ってもいいよ」。ある美容室がそう言ってくれ、“間借り”するかたちで営業を始めた。21歳の時だ。

自分で集客。自力で取った予約がなければ出勤も、稼ぐこともできない。エクステは高価なため在庫を抱えることもできない。一度店舗でカウンセリングをして、質やカラーを決めて注文し、次の来店で施術するという二度手間を、お客さんにかけざるを得なかった。

それでも「都城でエクステができる」という話題は強かった。20代前半に口コミで広がり、それなりに集客できた。都城に戻って1年半ほど経ったある日、当時つきあっていた彼氏で現在の夫から、独立を勧められる。

「彼はもともと美容室のお客さんで、『腕がいいから独立しなよ、資金援助もする』って言ってくれて、『えっ、私って投資してもらえるほどの価値があるんだ』って思えたのがきっかけです。そうは言っても怖かったですよね。自分でやっていかないといけないから」

背中を押してくれたのが、フリーランスで抱えていたお客さんだった。ほとんどが女性客。「独立しないの?」「独立したら行くよ」と言ってくれる人も多かった。

勇気づけられた美玖さんは、自分でも金融機関から独立資金を借り入れ、2021年、23歳の時に独立開業を果たした。

ほかの美容室にはない「強み」

出店場所は「都城一択」だった。「都城は大学もあって、けっこう若者もいるけれど、まだエクステの技術は浸透していない。若くして独立されている美容師さんもいない。若者をターゲットとした女性専用サロンを出したら、いけるかなと思って」。

立地については、「周辺の人口も多くて、(隣町の)三股町にもつながっているので、けっこう使われる道路」に以前から目をつけており、たまたまその道沿いに物件が出ていたため即決した。コンテナハウスも、「前からおしゃれだなと思ってた。建てるより安いし、将来、移転したければ、あのまま移動もできる」ということで、決めた。

目論見どおり、好立地に立つコンテナが話題を集め、調べて来てくれるお客さんも少なくなかった。フリーランス時代から続けてきてくれたお客さんもありがたかった。でも、やっぱり、eimyの代名詞となるほど、エクステの威力は強かった。

豊富なバリエーションが揃う人毛のエクステ。色に合わせて地毛にカラーをのせることもあるが、エクステと地毛を一緒に染めるほうがメリットが大きいという

在庫を抱えた本格的なエクステサロンは、都城では唯一無二。またたく間に、口コミでeimyの噂が若い女性のあいだに広まった。カットをしない「エクステ専門店」と誤解されたことも。実際はカットもカラーもエクステもやる。ただし、カットだけ、は受けていない。

結果、既存顧客の6割以上が、エクステ客。そのほとんどが、カラーとのセット。高い品質と技術力が売りとなり、お客さんを呼んだ。

エクステには1本(2〜3グラム)あたり200円ほどの「人工毛」と、1本450〜600円ほどの「人毛」がある。安価な人工毛のエクステだけしか取り扱っていないサロンも多いなか、eimyではアジア人の20歳未満の髪の毛を使った高品質な人毛のエクステも取り揃える。

人毛エクステは希少品であり、人毛と謳いながら人工毛が混合されている粗悪品も出回っている。美玖さんは「確かな仕入先を確保し、品質の高い人毛エクステを安定的に仕入れることができている。こんなお店は九州でも見つけるのが難しいんじゃないかな」と話す。

ショートヘアからロングにするには、エクステを80〜100本ほどつける必要がある。人工毛の場合はエクステ代金だけで2万円ほど。対して、人毛は4〜5万円かかる場合もある。それでも、人毛のメリットは大きいと美玖さんは言う。

「人毛は高いけれど、地毛と一緒にカラーができて、質が落ちない。地毛と同じように色落ちしていくので自然ですし、1カ月くらいでカットして2回イメチェンするなど、長く楽しめます。そこが、宮崎県のほかのお店にはない強みかなと思います」

「あのとき、頑張って良かった」

eimyのInstagramでは数多くの実例が紹介されている

エクステをつけているとは思えないほどの自然で美しい仕上がり。カラーは長く持続し、色落ちも自然――。

そんな評判は都城を越え、広く宮崎県内にも伝わった。

「宮崎市や延岡市などからも定期的に来てくれています。あとは1時間かけて鹿児島県からいらっしゃる方も。ほかで経験してうちの良さに気づいたという方が多いです」。今では、都城以外からのお客さんは3割以上となった。

売りは、エクステの品質や技術だけではない。

例えば、限られたサロンしか導入できないトリートメントを導入。東京の美容師が開発したもので、水素の力で内部補修をし、目に見えて髪質改善の効果を実感できるという。「ほかにはないからって、トリートメント目的でお越しくださるお客さまもいます」。

人気商品となった「eimy」のオリジナルシャンプー(中央)

シャンプーも人気だ。サロン向けメーカーに頼み、eimyのオリジナルシャンプーを開発した。数十種類のサンプルを配合しながら試作を重ね、「自分が一番いいと思えるものを作れた」。工場から直接、まとめて仕入れることで、コストも抑えた。

1本1500円(税別)で、店舗に訪れたお客さんのみに販売もしているが、ほとんどのお客さんが気に入って、購入して帰るという。このシャンプーだけで、eimyの売り上げ全体の1〜2割を占める人気商品に。ネット通販で全国展開することも視野に入れている。

「女性専用」というコンセプトも当たった。ピンクと白を貴重とした内装に囲まれ、靴を脱いで施術を受けるスタイル。「アットホームな感じで、リラックスできると好評です。1対1なので子どもを連れてきやすいのも、ママさんに喜んでもらえています」。

そうした「ママ世代」には、「若い子にスタイリングしてもらったら、自分ももっと若くなれるんじゃないか」と考え、通ってくれるお客さんもいるという。

20代前半から30代のママ層まで、女性客の心を掴んだ美玖さん。「しんどかった」という東京時代のことを、今では心から感謝している。

「こうやって独立して思うのは、東京での経験が本当に役立っている、大きいということ。東京で習得した技術があるというだけで、こっちでお客さまを呼び込めるパワーがあるし、あらゆる経験が今に生きている。エクステの仕入先や商品を見極める力も、トリートメントやシャンプーの選び方もそう。あのとき、がんばってよかった!って。そう思います」

「シェアサロン」に込める思い

美玖さんには今、2店舗目を出店するという目標がある。考えているのは「シェアサロン」という形態だ。

自身が都城に戻り、フリーランスで働いたときのように、個人事業主として挑戦してみたい美容師にスペースを貸すというコンセプト。売上金から一定割合を得るビジネスモデルだが、単に間貸しをする、ということでもない。

美玖さんが培ってきたカットやカラー、エクステなどの技術を伝承していくほか、人気のオリジナルシャンプーなど材料も共有していきたいという。なにより最も“シェア”したいのは、「自分が今、自由に働き、稼ぐことができている喜び」なのだと美玖さんは語る。

「美容師は、安月給で休みもないのが一般的。例えば、自分が担当したお客さまから月額80万円の売り上げがあっても、十数万円しかお給料をもらえない世界。でも、薬剤など出ていく経費はたかが知れていますし、相当、お店に入っていたんだなと(笑)」

「それって、一歩踏み出さないと気づかない。独立した今は、日曜もふつうに休めるし、夜遅くまで居残ることもない。1対1の接客なので、心にも余裕ができる。それでいて、お給料もいい。私、美容師でいることがすごく楽しくなったんです」

「その経験を若いみんなにもシェアしたいなと思っていて。『みんな、もっと自由に働いて、稼ごうよ!』って言いたいです」

最後に同世代へのメッセージを聞こうと思ったが、その必要はなかった。

「シェアサロンは半分、独立みたいなもの。美容師さんに限られますが、シェアサロンという環境があれば、みんなも踏み出せるのかなと。それができれば、都会に出ている若い美容師さんも都城へ帰ってくると思う。稼げる環境がないから、帰ってこないだけなので。ゆくゆくは、美容師をやめちゃった主婦層へも広げていきたいと思っています」

10〜20代中盤くらいまでの層は「Z世代」と呼ばれ、新しい価値観にもとづいた行動変容が進む。一般に「平等性」や「合理性」を求める風潮があるとされており、25歳の美玖さんはその世代の先駆けだ。

ほかの大手美容室のように、系列店のオーナーとして稼ごうとは思わないのか聞くと、こう返ってきた。

「シェアサロンで、10%でももらえれば十分。みんなが活躍すればeimyの名前が広がるし、シャンプーが売れるだけでも利益は出る。あと、ふつうのサロンよりも、やめていく人が少なくなるような気がします」

シェアサロンに入居する候補者が3人くらい集まれば、次のステップへ進むという美玖さん。Z世代による“自由解放”への挑戦は、意外と早く実現するかもしれない。

次回に続く)

  • 筆者
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井上 理(いのうえ・おさむ)

フリーランス記者・編集者/Renews代表。1999年慶應義塾大学総合政策学部卒業、日経BPに入社。「日経ビジネス」編集部などを経て、2010年日本経済新聞に出向。2018年4月日経BPを退職。フリーランス記者として独立し、Renews設立。著書に『任天堂 “驚き”を生む方程式(日本経済出版社)』『BUZZ革命(文藝春秋)』。

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