「Uターンするつもりはなかった」
2024(令和6)年8月9日、日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し、都城市が震度5強の揺れに襲われた日の翌日。取材班は、「市立図書館」や「まちなか広場」などからなる中心市街地の中核施設「Mallmall(まるまる)」で、母娘を待っていた。
地震の影響で図書館は臨時休館だったが、図書館に隣接するカフェ「Mall Market」は営業していた。そこに、赤嶺桃子さんと、娘の瑞希(みずき)ちゃんと光里(ひかり)ちゃんが来てくれた。
「地震、大丈夫でしたか?」「ぜんぜん。大丈夫です!逆に今日で大丈夫でしたか?」。笑顔が印象的な桃子さんが現れると、その場の雰囲気がパッと華やいだ。
瑞希ちゃんは流暢な“都城弁”のイントネーションでおしゃべりしてくれて、すっかりこちらでの暮らしに慣れていることを感じさせてくれる。光里ちゃんは、少し前に開催された「盆地まつり」で食べたりんご飴のことを、ちょっぴり照れくさそうに教えてくれた。
赤嶺さん一家は、2022年8月に名古屋市から引っ越してきた移住者家族。桃子さんは都城市出身だが、「帰って来るつもりはなかった」という。
その思いが大きく転換した背景に、どんなストーリーがあったのだろうか。
子どもが多い移住者家族
都城市は2023年度、大胆な人口減少対策を実施。「保育料の完全無料化」をはじめとする強力な子育て支援策と同時に、全国トップクラスの「移住応援給付金」を引っ提げた移住支援策を打ち出した。結果、2023年度の移住者は3710人と過去最大に。世帯数にして1663世帯。その多くが「子育て世代」と見られる。
世帯主が30歳代以下の世帯は「62.5%」、40歳代以下では「83.1%」と、比較的若い子育て世代が多い。3710人のうち18歳未満の子どもは「36%」にあたる1336人。全国では18歳未満の子どもの人口比率は「14%」なので、移住者ではその2.5倍も子どもが多いことになる。
しかも、小さな子どもが多い。子どものうち、0〜5歳の「未就学児」は53.4%にあたる713人。その約6割は「0〜2歳児」で、子ども全体の「31.1%」にあたる。
全国では、18歳未満の子どものうち0〜2歳児の比率は「8.9%」。2023年度における都城市への移住者では、その3.5倍もの0〜2歳児が存在する。こうした数字は、都城市がそれだけ小さな子を持つ世帯の移住先として選ばれている証だろう。
しかし、この結果を「保育料の完全無料化や移住応援給付金などの経済的支援が後押しした」と断じるのは、いささか表層的だ。
都城市がなぜ子育て世帯に選ばれているのか。子育て移住者のリアルな声や本音から、「本当の理由」を探った。
妻の実家へUターンした赤嶺家
冒頭で笑顔を見せてくれた桃子さんは都城市の出身で、現在は看護師として社会福祉法人豊の里の介護施設「豊望園」に勤務。一方、夫の直希さんは熊本市を拠点に自営業を営んでいる。都城には月の3分の1ほど帰ってきて、家族と過ごす生活だ。
そんな二人の出会いは大阪。都会での暮らしに憧れていた桃子さんは、看護師の資格を取得後に大阪の病院で働いていた。その頃に直希さんと出会い、結婚。直希さんは異動の多い“転勤族”だったため、大阪で暮らした後、横浜で7年、名古屋では1年を過ごした。
「転勤って、子どもがいなければ単なる引っ越しですが、子どもがいると手続きが増えたり、精神的なフォローが必要だったりと、少しずつ負担が大きくなりました。先々は単身赴任かなと考えていた矢先、夫から南九州を拠点に起業したいという提案を受けたんです」
その提案を機に、赤嶺さん一家は都城市へのUターン移住を考え始めた。
地元である都城は夫が望む南九州エリア。結果として、直希さんが起業した熊本市からも自動車で2時間半ほどと比較的近い。
桃子さんの両親や妹家族も住んでおり、子育てをサポートしてもらえる安心感もある。それだけでなく、家族みんなが都城を大好きだったことも後押しとなった。
「夫は、帰省するたびに『ごはんが美味しくて最高だ』って感動していました。特に『鶏刺し』が大好物で、都会だと高級品なのにこっちではテイクアウトして家で食べられるなんて天国みたいだって(笑)。子どもたちも帰省のたびに私の家族にかわいがってもらって、都城が大好きでした。『それなら都城に住もうか』と、移住を決心したんです」
市独自の移住応援給付金なくとも「満足」
移住直前の住まいは名古屋市。移住を決めたからといって、そう頻繁に帰省するわけにはいかない。移住するにあたって決める必要がある仕事や幼稚園、住居は、名古屋市にいながら決める必要があった。
仕事は看護師の資格を活かして求職し、介護施設に採用が決まった。リモートでの面接が可能だったため、帰省することなく決めることができた。
幼稚園も申請書が郵送で受付可能だったため、こちらも帰省せずにスムーズに決定。住まいは不動産情報サイトで物件を見つけ、都城市に住む妹に内見してもらって決めた。
ただし、赤嶺さん一家が移住してきた2022年は、まだ保育料の完全無料化や手厚い移住応援給付金が始まる前。名古屋市から移住したことで宮崎県の移住制度を利用して支援金をもらうことができたものの、2023年度からスタートした市独自の移住応援給付金の制度を仮に適用したとすれば、もらえる金額は増えていた。
「もう半年、待っていたら、もっと多くもらえたんですけどね……」と桃子さんは苦笑する。それでも移住したことについては「後悔していない」。むしろ、都城での暮らしに「大満足している」と話す。
「遊ぶ場所に困ることがない」
2児の母である桃子さんはまず、子育て環境の充実ぶりを満足ポイントとして挙げた。中でもお気に入りの場所は、Mallmallにある子育て支援施設「ぷれぴか」や図書館。「子どもの頃は百貨店だった場所が生まれ変わっていてすごく驚いた」と話す。
「『ぷれぴか』は雨の日でも室内で体を動かせる遊具が揃っていて、子どもたちもお気に入り。図書館も子ども向けスペースが充実していて、子連れでも訪れやすいのがうれしいです。移住前は、街が大きすぎて図書館がどこにあるのか分からないままだったり、建物がとても古くて行く気になれなかったりしましたから」
若い頃は「都城なんて何もなくてつまらない」と感じていた桃子さんだが、Uターンした今は「遊ぶ場所で困ることはない」と感じている。どこで遊ぶにもお金がかかっていた都会とは違い、都城には広くて遊具の多い公園があちこちにあり、子どもたちを連れていけば時間を忘れて遊んでくれるからだ。
子連れでの移動が便利になったこともうれしいポイントだと話す。
「都会では電車移動が基本で、子どもと電車で外出するのは本当に苦労しました。支援センターに行こうと思っても雨だったら諦めるということも何度もありました。車で移動する場合でも渋滞があったり、駐車場がなかったりして、なかなかスムーズに移動できずに困った覚えがあります。都城はどこでも車でサッと行けて、駐車場代もあまりかかりません」
都会と遜色ない医療と保育
さらに、子育てをするうえで、医療や保育の環境も重要な要素。看護師である桃子さんの厳しい視点からも都城の医療環境は「十分に評価できる」と指摘する。
「大きな総合病院もあるし、小児科医などかかりつけ医となる小さな病院もたくさんある。夜間急病センターも市内にありますし、安心して子どもを育てられる環境で、都会にいた頃と同じ感覚で医療が受けられていると感じています。周産期医療の体制がしっかりと整っていることも良いですよね。産院がない小さな街に住む友人から、妊婦さんは隣の市まで1時間以上かけて通院しなければならないという話も聞きました」
幼稚園や保育園については、都会に比べ段違いに充実していると桃子さんは言う。
「都城で生まれ育った私は、保育園といえば広い園庭で子どもたちがにぎやかに遊んでいて……という様子を思い描いていました。でも、都会で子どもたちが通っていた保育園は、どこも園庭がなかったんです」
「屋上やベランダなどに人工芝が小さく敷かれているのみ。外遊びは近くの公園に行かなければならず、雨が降ると一日中室内で過ごす日も多かったんです。もっとのびのびと遊ばせてあげられたら、といつも思っていました」
一方、都城で子どもが通っている幼稚園は十分な広さの園庭があり、遊具も盛りだくさん。子どもたちが活発で健康的な生活を送れるようになったと桃子さんは満足げだ。
“ママ友”との付き合い方も変化
満足しているのは、施設や設備といった「ハード面」だけではない。人付き合いなどの「ソフト面」でも都会では得られなかった恩恵を受けている。
桃子さんにとって、子育てする上でもっとも助かっているのが「家族のサポート」。移住前の育児はほとんどが“ワンオペ”で、頼れる人が身近にいないことが悩みだった。しかし実家の近くに移住した今は、両親や妹家族が身近にいる。
「子どもたちを預かってもらったり、妹の子どもと遊んでもらったりできるので、一緒に子育てをしてくれているという安心感があります。時間や気持ちにもゆとりが生まれました。おかげで、以前からの趣味だったゴルフも再開でき、充実した日々を送れています」
サポートしてくれるのは家族だけではない。親戚やご近所さん、職場の人たちが「畑でたくさん採れたから」と新鮮な野菜を持ってきてくれる。子育て支援センターなどの職員も、親身になって話を聞いてくれる。
都会で暮らしていた頃にはあまり感じることのなかった「人と人とのつながり」や「ぬくもり」。それを桃子さんは確かに実感している。
移住は“ママ友”との付き合い方も変えた。
都会では「当たり障りなく、挨拶をするくらいの関係性が当たり前だった」と振り返る桃子さん。「私自身、あまりご近所さんには深入りしない方がいいかなと思っていました。でも、都城ではぜんぜん違っていて驚きました! 子育ての悩みなど深い話もできて、家族ぐるみでキャンプに行くこともありますし、うわべじゃない付き合いが増えたと思います」。
県外出身だからといって壁を作られるといったことは「まったくない」。じつは、むしろ夫の直希さんのほうが周囲との付き合いを楽しんでいるという。
「幼稚園で役員をしたり、ボランティアを買って出たりとすごく積極的なんです。“パパ友”とよく飲みにも出かけていますし、私よりもエンジョイしているんじゃないでしょうか(笑)」
収入減るも、生活の質は向上
2022年に移住して来た赤嶺さん一家は、2023年度に入ってから実施された市独自の移住応援給付金をもらうことはできなかったが、子育て支援策における「3つの完全無料化」の恩恵は受けることはできた。
なかでも、第1子から0〜2歳の保育料が無料になる「保育料の完全無料化」について、「すごく助かっている」と話す。
「都会で2人とも保育園に預けていた頃は、保育料がトータルで月額7万5000円くらいでした。確かに都会にいた頃より収入は減りましたが、家賃が下がりましたし、野菜やお肉も手頃。さらに保育料がかからなくなったので、生活の質はかなり向上したように思えます」
看護師という職業柄か、「妊産婦の健康診査費用の完全無料化」も「これから妊娠される方はすごく助かるはず」と語る。「妊娠中は何かとトラブルが多いですし、意外と経済的にも負担が多いんですね。都城でなら、安心して子どもが産めると感じられるんじゃないでしょうか」。
移住から2年が経過した赤嶺さん一家。最近では、神戸に住んでいる夫の両親も、「ゆくゆくは都城に移住して来られたらいいね」と夫と話している。「二人とも都城のことを気に入っていてくれています。その日が来るのが今から待ち遠しいです」。
“子連れ移住”は、都城市に血縁を持つ家族ばかりではない。
夫婦ともに「陶芸家」の大槻家
都城市が地元ではなくとも、子育てをともなう移住先として都城市に魅力を感じている移住者家族もいる。2024年2月、兵庫県丹波篠山市から移住してきたばかりの大槻さん一家もそんな家族の一つだ。
大槻一仁さん・蘭さん夫婦はともに「陶芸家」。京都府出身の一仁さんは会社勤めをしていたが、30代に入る頃からものづくりに携わりたいと思うように。一方、宮崎市出身の蘭さんは20代半ばまで宮崎市で働いていたものの、一度県外に出てみたいと思っていたことに加え、何か手に職をつけたいとも考えていた。
そんな二人は京都府南丹市にある伝統工芸を教える学校で出会い、結婚する。その後、窯元での修行を経て丹波篠山市で陶芸家として独立。夫婦の名前それぞれから文字をとった「いちらん陶房」を営み、陶器の制作・販売に加え、陶芸体験のワークショップも行っていた。
千陽(ちはる)ちゃんと一晴(いっせい)くん、2人の子宝にも恵まれた。移住前の暮らしを一仁さんがこう振り返る。
「丹波篠山は焼き物がさかんな地域で、観光地でもあったので、観光客の方が陶芸体験に多くきてくださっていました。ただ、のどかな地ではありましたが、暮らしたり子育てしたりするうえでは選択肢が限られていたり、不便を感じたりすることもありました」
とはいえ、積極的に移住を検討していたわけではない。
新たな「陶房」求めて移住
丹波篠山市では陶芸のイベントも多く、楽しく暮らしていたため、「関西圏のどこかに引っ越せたらいいねと考えていたくらいでした」と蘭さん。潮目を変えたのは、宮崎市に住む蘭さんのお母さんからの何気ないひとことだった。
「母から都城市の移住応援給付金の話を聞いたんです。『そんなに手厚いの!?』と驚き、『宮崎市にある私の実家からもわりと近いし、いいんじゃない?』と話がとんとん拍子でまとまって、移住することになりました」
ただし、移住応援給付金はきっかけに過ぎない。
陶芸を生業とする大槻さん夫婦にとって陶芸にふさわしい土地であることが条件。自然豊かで水も綺麗な都城市のことを知るほど、適していると思えた。住んだことも、親戚もいないが、宮崎市出身の蘭さんにとっては、まったく“知らない土地”でもない。
条件としては良く思えたが、移住で最も大事なことは、新たな「陶房」を開く場所が見つかるかどうか。
そこで、店舗や陶芸教室のスペースも確保したかったため、広くて納屋のある家を探した。少し難航したものの、2023年12月末、理想的な物件が見つかった。
場所は市内の中山間地域、山之口町富吉。広い庭には鬱蒼と木々が茂っており、その整備に時間がかかりそうだったが、周囲の雰囲気はどことなく、丹波篠山に似ていた。
年が明けて2024年2月、「バタバタと引っ越してきた」。新居は古く、前に住んでいた人が残した物も多くあったため、半年かかってようやく片付きつつあると笑う2人だが、すでに「移住して良かったと感じている」と口を揃える。
その理由は、赤嶺さん同様、経済的な支援だけではない。
保育環境もおでかけも「選択肢が多い」
移住してすぐ、「子育て環境の充実ぶりに驚かされた」と話すのは蘭さん。
「もちろん、保育料無料化の恩恵も受けていますが、保育園の選択肢が多くて、びっくりしました。以前住んでいた丹波篠山ではほとんど選択肢がなく、子どもにとってより良い保育環境を比べて選ぶといったことはできませんでしたから」
蘭さんは、子どもを遊ばせる場所も多く、どこもきれいで充実している点も満足している。特に気に入っているのは、赤嶺(桃子)さんもお気に入りの「ぷれぴか」。「『道の駅』都城NiQLL(ニクル)」も、定番のおでかけスポットとなった。「どちらも屋内に遊具がたくさんあるので、雨の日でものびのびと遊ばせることができます」。
医療についても、「特に小児科は選択肢が多すぎるくらい」に思っている。移住して半年ということもあり、「これから相性のいいかかりつけ医を見つけたい」と蘭さんは話す。
一方で、一仁さんが気に入っているのは周囲に大きな公園がたくさんある点。子どもたちを連れ、『高城観音池公園』や三股町の『上米公園』をよく訪れている。
「車で少し行った場所に、こんなに整備されてきれいな公園があるのは本当に助かります。どちらも桜の名所で景観も良いし、広々としているので、子どもたちもめいっぱい体を動かすことができて、喜んでいます」
丹波篠山にいた頃に比べ、おでかけの頻度は格段に増えた。以前は、自動車を1時間ほど走らせれば神戸市内へ出ることができたが、「人混みが苦手であまり出かけることはなかった」と一仁さん。「都城は都会すぎず、田舎すぎずちょうど良い環境だと感じています」。
交通、気候、食…暮らしの満足度も向上
大槻さん夫婦は、子育て環境のほかに「暮らしやすさ」という側面でも満足度が格段に向上したと話す。
「スーパーマーケットが多く、どこへ行こうかと考えるのも楽しい」と言うのは蘭さん。一仁さんは、交通の便が良い点にも魅力を感じている。「妻の実家がある宮崎市へもすぐに帰れますし、鹿児島や熊本、福岡へのアクセスも良いですよね」。
丹波篠山に比べると冬の寒さが和らいだことも一仁さんはうれしい。
「水道管が破裂したり、冬にタイヤにチェーンを装備したりする必要がありません。盆地なのでもちろん寒いですが、寒さが生活に影響することはほとんどない。冬場でも、そこまで厚着をせずにすむし、冬でも子どもを外で遊ばせられるのも助かります」
「近所付き合い」も暮らしやすいと感じさせる要素となっている。
じつは、蘭さんは移住前、近所付き合いのことを心配していた。物件を決める際、現地を訪れる機会がなく、テレビ電話での内見のみだったことから、周囲にどんな人が住んでいるか分からないまま引っ越してきたためだ。しかし、そんな心配は杞憂だった。
「近所は年配の方が多く、引っ越し直後から声をかけてくださったので、地域にもすぐ溶け込むことができました。小さい子どもが少ないからか、『子どもがいるとにぎやかになっていいね』と喜んでもらえて、とてもかわいがってくださるんです。新鮮な野菜を分けてくれたり、釣ってきた魚を捌いてお裾分けしてもらったこともありました。壁や敷居はまったくなく、仲良くしてもらえているのはとてもありがたいです」
一仁さんは今、ご近所さんから分けてもらったオクラの種がきっかけで、家庭菜園に凝っている。敷地内にあるスペースを活用して、本格的な畑づくりにもチャレンジしようと考えている。
「移住してたった半年ですけど、世界がぐんと広がった」と笑顔をのぞかせる一仁さんは、都城の食文化にもハマっていると教えてくれた。
「鶏刺しがめっちゃ好きですね! 関西では普通にお店で売っているなんてありえへん。値段も手頃なのですごくうれしいです。南九州ならではの甘くて濃厚なお醤油も好きですし、都城に来て食のバリエーションが増えた気がしています」
「チャレンジしたいことが増えた」
陶芸家として、家族として、これからどんなふうに都城で暮らしていきたいのか。「ようやく家の片付けがすんだくらいで作品作りはほとんどできていないですけれど」と前置きした上で一仁さんはこう話す。
「近いうちに敷地内ある納屋を常設ギャラリーにしたり、そこで陶芸体験のワークショップを開催したりできるようにしたいです。ご縁があって宮崎市での陶芸のイベントに出展する機会がありました。青島でのイベントのとき、僕の作っている青い器がすごく評判が良かったんですよ。というのも、青島の海とその色がマッチしていたからなんです」
「そういった反応は初めてで驚きましたし、これから陶芸をやるにあたって新たな可能性が見えた気もしました。宮崎は陶芸用の土が採れるわけではなく、丹波篠山のように陶芸が盛んでもないのですが、そのぶん自由にできることも多いんじゃないかと感じています」
移住して環境が変わったことで、チャレンジへの意欲を掻き立てられている一仁さん。それは蘭さんも同じである。「都城に移住してきて環境が豊かになり、暮らしにも子育てにもゆとりが生まれました。おかげで新しいことにもチャレンジしやすくなったし、やってみたいことが増えました」。
取材の最後、まだ移住して半年ほどの2人にあえて、「都城は終のすみかになりそうか?」と聞いてみた。「なります」と即答した蘭さんに、一仁さんはこう続けて、笑った。
「食べ物がおいしくて、人が優しくて。『ならない』と答える方が難しいですよ」
“地元”じゃなくても“ゆとり”ある子育て
子連れでの移住は、両親のいずれかの地元へのUターンが鉄板のセオリーかもしれない。
しかし、保育料完全無料化など子育て支援が手厚く、保育や医療などの子どもをとりまく環境が整っている都城なら、すぐ近くに家族や親戚がいなくとも、ゆとりを持ちながら子育てができるだろう。
また、都会すぎず田舎すぎない“ちょうどいい規模感”の暮らしが子育て世帯にフィットしているようだ。
豊かな住環境や自然、食文化、さらに地理的な条件も相まって、自分たちらしく子育てや暮らしを営むことができるのではないだろうか。
決して口先だけではない、都城市が本気で取り組む子育て支援策という基盤がさらに強化されたことで、もともと備わっていた街としてのポテンシャルがより発揮されるようになったように感じられた。
子育て世帯に笑顔が増えると、街にも笑顔が増える。この好循環こそが、“本物”の子育てにやさしい社会の姿だろう。