深く多面的に、考える。

メディアリテラシー #15

デジタル民主主義の光と影 JICA「ホームタウン」撤回の示唆

  • SNSを活用する市民の声が政治や行政を動かす時代は民主主義の理想。
  • だが不十分な情報や誤解の上に築かれる世論は不安と疲弊をもたらす。
  • 「JICAアフリカ・ホームタウン構想」の撤回が投げかけたものとは。

「JICAアフリカ・ホームタウン構想」へ反旗

「先人たちが守ってきた日本を、売り渡さないでくれー!」「そうだー!」「それができないなら、JICAを解体しろー!」「解体!解体!解体!」……。

2025(令和7)年8月28日夕方、東京・千代田区の「国際協力機構(JICA)」本部前。100人ほどが建物に向かってシュプレヒコールをあげた。JICAの事業によってアフリカから大量の移民が来るなどの情報がSNSで拡散。反対するデモへの参加呼びかけも広がり、学生や社会人などさまざまなひとが参集し、翌日も同じ場所でデモが行われた。

SNSが政治や行政への“市民参加”を活性化させている。きっかけは、「JICAアフリカ・ホームタウン構想」の発表だった。

横浜市で8月20~22日、第9回「アフリカ開発会議(TICAD)」が開催。JICAは国内4市をアフリカ諸国の「ホームタウン」に認定するとした。アフリカとの交流実績があった山形県長井市、新潟県三条市、千葉県木更津市、愛媛県今治市に認定状を交付し、さらなる交流を促す目的だった。

第9回「アフリカ開発会議(TICAD)」に臨んだ首脳陣首相官邸ホームページより)

発表からほどなく、この構想によってアフリカから大量の移民や移住がこれら認定4市に押し寄せるといった情報がSNSで拡散し、炎上。抗議のメールや電話がそれぞれの自治体に殺到した。

TBS系列の報道によると、4市の一つ、ガーナのホームタウンに認定された三条市の役所には、認定から8月26日までの期間だけで「メールやホームページを通じたお問い合わせで約4000件、電話で約350件」の意見や問い合わせがあった。ほとんどが「移住や移民の促進は許せない」という内容だったという。

市役所の代表電話は、ほぼ一日中鳴りっぱなしとなり、同市ではGoogleマップ上でのいたずら行為もあった。市内の施設名が「ガーナ市役所」「三条ガーナ市民球場」などに書き換えられる被害も確認されている。

長井市や今治市でも同様の抗議や意見が相次ぎ、「問い合わせの大半は“長井がタンザニアの一部になるのか”といった内容だった」(NHK)、「外国人が押し寄せるのではといった不安の声が寄せられた」(愛媛新聞)という報道が相次いだ。

「誤解」にもとづいた意見や抗議

だが、結論から言えば、JICA自体はホームタウン構想で「アフリカからの移民や移住を促す」「特別なビザを発給する」などとは発信していない。

本来の目的は国際交流。JICAの国際協力では「JOCAモデル」「草の根技術協力」など、自治体と海外の地域が結びつくモデルが長年、継続している。近年アフリカ支援において、「地域レベルの結びつき」があると持続性が高いという国際協力の潮流もあり、ホームタウン構想は相互にメリットのある地域間交流を後押しする狙いがあった。

例えば三条市にとっては「人材育成や地域の活性化」、ガーナにとっては「食糧問題の解決につなげること」を狙いとしていた。

ところがSNSでは「日本が売り渡される」「移民で埋め尽くされる」といった誤解や憶測が飛び交い、炎上状態に。誤解にもとづいた意見や抗議は約1カ月にわたって続いた。

ホームタウン構想発表からの約1カ月間、各自治体の公表や報道ベースで把握できる範囲だけでも、認定4市(今治・木更津・三条・長井)に寄せられた電話やメールは数万件規模に達したと見られる。

こうした事態が続いたことから9月25日、JICAの田中明彦理事長は記者会見を開き、ホームタウン構想の撤回を表明。こう述べた。

「国外での誤った報道などをきっかけに、誤解に基づく反応が広がり、また、ホームタウンという名称に加えて、JICAが自治体をホームタウンとして認定するという、この構想のあり方そのものについて、国内でさらに誤解と混乱を招きました。その結果、4つの自治体に過大な負担が生ずる結果となってしまった」

誤情報の発端と「誤報」

誤情報が自治体へ与える影響を考慮した結果の苦渋の決断。異例の事態を受け、一部報道では、こうした総括も見られた。「誤情報の拡散が意義ある政策を頓挫させた」――。

しかし、SNSでの誤情報の拡散や炎上だけに頓挫の要因を求めるのはいささか短絡的だ。

殺到した意見や抗議について、JICAの田中理事長は「日本は民主主義国でございますから、さまざまな意見を持つひとがいるんだなというふうに私は思いました」としつつ、「私どもが誤った見解に屈したということではない」とも釘を差していた。

そして、誤解を招く要因は確かにあった。

炎上のきっかけはナイジェリア政府による誤情報の発表と、それを受けて作られた海外メディアによる報道だ。

JICAの田中理事長が記者会見で「具体的な内容については、今後決定されるということになっておりました」と語ったように、当初の発表は理念や目的にとどめており、XなどのSNSでも発表内容自体はさほど話題になっていなかった。

ところが22日、ナイジェリア政府が「日本政府が、木更津に移住して生活と就労を望むナイジェリアの若者に向けた特別なビザ(査証)を用意する」との誤情報を公式ホームページなどに掲載した。メディアリテラシーは政府や行政にも求められるスキルなのだが、十分なファクトチェックをせず、「思い」を載せてしまったのだろう。

これを機に、事態は急変した。23日未明には、「グローバルを知った愛國者」を名乗るユーザーが「なぜ、日本がアフリカ諸国のホームタウンにならないといけないのか」などとXに投稿。インプレッション数は16万件を超え、まとめサイトなども手伝って「日本が移民を受け入れる」「アフリカ諸国の第2の故郷に」といった論調が広がった。

誤解を招く報道をした海外メディアもあった。

タンザニアのニュースサイト「The Tanzania Times」はJICAの発表に先立つ8月18日、「日本が長井市をタンザニアに“寄贈”」と題した記事を配信。次いで英BBC傘下のアフリカ向けニュースサイト「BBCピジン」は8月23日、「JICA、木更津市をナイジェリア人の故郷に指定」と題した記事を配信している。

ナイジェリア政府の発表や言及を引用するかたちで、「日本政府は、高度なスキル、革新性、才能を持ち、木更津市に居住・就労したいナイジェリアの若者向けに“特別なビザ”を創設する予定」と伝えた。

BBCは傘下のニュースサイトで「日本がナイジェリアの若者向けに新たなビザを発給する」と報じ、その後、記事内容を修正した(「BBCピジン」より)

付け加えると、今回のプロジェクト名称にある「ホームタウン」という言葉が誤解を増長されたという指摘もある。

英語圏ではダイレクトに「故郷・ふるさと」という意味合いを持ち、日本語圏でも「住む場所」「帰属先」という情緒を帯びた言葉として使われている。JICAが想定したのは交流の象徴的な名称だったが、制度の中身が固まる前に強い言葉だけが先行した。JICAの田中理事長も前述のコメントで、名称自体に問題があった可能性を示唆している。

SNSではこれらの要素が重なって、騒動が拡大した。

不安心理とSNSの相乗効果

JICAや日本政府の申し入れを受け、ナイジェリア政府やニュースサイトなどは情報を修正するも、SNSの論調は冷水を浴びせられるどころか、火に油を注ぐ格好に。詳細は次回記事に譲るが、誤情報・誤報にもとづく誤解は止まず、9月25日の「撤回」に至るのである。

怒りなのか、正義感からか。いずれにせよ市民の圧力は結果としてホームタウン構想を撤回へと導いた。

しかし、繰り返しになるが、SNSでの意見や抗議の大半は誤解。それを解く情報や機会もあったはずなのだが、騒動が広がったのには理由がある。

まず、今回の拡散の背景には、不安を感じやすいテーマであったことがある。

心理学では自分が信じる考えや仮説に合致する情報ばかりを集め、それに反する(都合の悪い)情報を無視または軽視してしまう認知の偏り(心理傾向)を「確証バイアス」と呼んでいる。この「心のクセ」は、不安な状況下で強まるとされている。

JICAによる撤退後、NHKは番組「クローズアップ現代」で外国人不安について特集した(NHK クローズアップ現代「広がる“外国人不安” その陰で何が…」より)

今回で言えば、「市民生活を脅かされる」という認識が、地域アイデンティティにもとづく“不安”感情を刺激した。特に、「外国人×治安×生活環境」というフレームは、多くのひとの不安を誘いやすい“定番のナラティブ(ストーリー)”。日本のSNSでは過去に何度も炎上の引き金となっている。強い不安に駆られ、対処しようと考えたひとがSNSで情報を集めた結果、より不安が強まっていったと考えられる。

ここに、ナイジェリア政府の発表、複数の海外メディアでの報道といった信ぴょう性を増す条件が重なったため、より不安は増大した。

また、使命感に駆られ行動に移すのが人間の特性。今回は、自治やコミュニティを守るといった使命感や正義感に駆り立てられたひとも多かったのだろう。「ナイジェリア政府の声明が本当であったなら」と考えると、彼らの行動には一定の合理性があったとも言える。

こうした心理や行動を、SNSの特性やアルゴリズムが増幅させた。

SNSでは、ある程度の「匿名性」が守られていることから、反射的に声をあげやすい。加えて、SNSでは怒りや不安など負の感情を刺激する投稿や情報は、「いいね!」よりも高速に拡散する。自分と同じ意見が見えやすい「エコーチェンバー」の特性も手伝って、過激な意見ほどタイムラインで上位にあがる傾向にあるのだ。

「エコーチェンバー」は自分と似た意見や思想が増幅・強化されてしまう現象

これらの構造が重なった結果、今回の騒動が大きく膨らんでいったと考えられる。

今回の騒動で失ったもの

一連の騒動で、4自治体は国際協力の新たな機会を逸失したとも言える。前述のように、互いの地域にメリットがある相互交流が本来の狙いであり、そのメリットを認定4市が享受できなくなる「デメリット」については、SNSで議論が広がらなかった。

「SNSでの声の大きさ」が、すなわち「世論の重さ」と勘違いされる危険性も高まったのではないだろうか。反発していた一部のユーザーはJICAの撤回表明後、自分たち多数の市民の声が届いた結果とも受け取れる言及もしていた。

さらに言えば、今回は民主主義の疲弊も招いた。意見表明は民主主義の一形態だが、誤情報は意思決定の破壊者にもなり得る。

過度な働きかけは、行政の業務負荷を増やし、市民のためになる本来の通常業務に支障を来しかねない。行政リソースの浪費を生んだとも言える。実際に、抗議が殺到した自治体の職員は対応に追われた。

誤解のもととなる誤情報や誤報が訂正・修正されてもなお、電話やメールが押し寄せた。

ナイジェリアのホームタウンに認定されていた木更津市では、9月22日までに約9000件の電話と4000通超のメールが届き、職員は「通常業務もままならない状況だった」と地元紙の取材に語った。

「声を上げる市民」が悪い訳ではない。政治や行政への関心や参画意識は非常に大切なことだ。市民が行政を監視し、声を上げることは民主主義の基本であり、その意味では、「SNSの普及や発展によって、民主主義の理想に近づいている」とも言える。

だが、その起点となる「情報」が誤っていると、民主主義が疲弊するという側面も意識したい。

本来、政府の公式アナウンスが誤っているということはあってはならないこと。しかし、今回は、そういった誤った情報が実際にアフリカ政府の公式情報として流れてしまった。

メディアリテラシーの核は、情報を無批判に受け入れるのではなく、立ち止まり、多面的に情報を調べ、分析し、自分なりの考えを持つこと。この連載を通じて、「鵜呑みにせず考える」ことが肝要であると記してきた。

情報の発信源が、政府であっても著名メディアであっても同じこと。その教訓を、今回の騒動は与えてくれたと言える。

そして、独立行政法人であるJICAの情報発信や広報のあり方についても、改めて考える余地があるだろう。では、デジタル時代の市民参加は、どこへ向かうべきなのか。次回、「対話型広報」という新たなトレンドを追う。

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