都城の山奥から発信
「都城は肉の町。がまこう庵も都城を盛り上げたく、都城和牛そば、地頭鶏そばとメニューを作ってやっていましたが。豚肉を使ったメニューがなくて。。。そこで3年前から作り始めた豚肉メニュー。それがこれ。ぶっかけチャーシューそばです」……。
2023(令和5)年9月1日、「Instagram」で新作メニューが投稿されると、300人以上が「いいね!」を押し「絶対行く👏」「めちゃめちゃ食べたい😍」といったコメントが付いた。
発信元は、名峰・高千穂峰のふもとにある「がまこう庵」。都城市で最も人口の少ない「西岳地区」の吉之元町、旧・庄内町の一部だった山あい深い場所にある老舗の蕎麦屋だ。
4600人以上のフォロワーがいるInstagramのアカウントは、ほぼ毎日、更新されており、都城市の中山間地域など8地区(以降「中山間地域等」と表現)において、SNSで最も目立つ店舗の一つと言える。
テレビや雑誌といった既存媒体からも定期的に取り上げられている。テレビ宮崎の人気ローカル番組「よかばん!!」が昨年に続いて今年もがまこう庵をロケで訪れ、2023年7月14日に放映された。そうした情報を見た人々がひっきりなしに訪れ、週末ともなると常連客も相まって入店待ちの行列が絶えないという。
観光地に近い場所だが、客足のなかで観光客の割合は2割ほど。全体の半分は宮崎県内からで、鹿児島県からの来客も多い。南九州全域にファンが広がっている。
中山間地域等で気を吐く名店。歴史あるがまこう庵は、いかに繁盛したのか。どんな人がどんな思いで山奥から発信しているのだろうか。
地元産の蕎麦粉を年間5トン
都城市の中心市街地から霧島連山をめがけ、クルマで約40〜45分ほど。名所「関之尾滝」の付近を通り過ぎ、緑がまぶしい山道をひたすら行った先に、その店は忽然と現れた。
鹿児島県との県境はすぐそこで、同県霧島市の霧島神宮までクルマで5〜6分ほどの場所。まわりは緑しか目に入らない。
訪れたのは今年8月中旬の朝、まだ開店前。玄関をくぐると、香ばしい焼き立てのパンの香りが漂ってきた。蕎麦屋ながら、天然酵母のパンも売りで、蕎麦よりパンが先に売り切れるほどの人気商品となっている。
奥から出てきたのは、2代目店主の蒲生純さん(46歳)。柔和な笑顔で出迎えてくれた。
「ようこそ、こんな山奥へ。ちょうど蕎麦を打っているところです。写真は自由に撮ってもらって大丈夫です!」。そう言って店奥の打ち場へ戻り、その日最初の蕎麦を打ち始めた。
蕎麦の実(み)は昔から地元の「庄内そば組合」から仕入れている。石臼で香り高く、きめ細かい“蕎麦粉”にし、霧島連山の湧き水を使ってこねている。使う蕎麦粉の量は年間5トンにもおよぶ。
「地元で採れた蕎麦を使うというのは親父の代からのこだわりなんです。組合からだけじゃ足りないので、近くの地域の生産者さんからも直接、仕入れています」
がまこう庵は、「その土地のものを食べ、生活するのがよい」という教えの仏教用語「身土不二」を理念に掲げる。それは、純さんの父の信条でもあった。
“変人”扱いされた初代から継ぐ
がまこう庵の創業は1974(昭和49)年。創業者である蒲生宏孝さんの最初と最後の漢字をとって、がまこう庵と名付けられた。
身土不二を信条とする初代は、可能な限り地元の食材を使い、なるべく材料を無駄にせず、かつ、自らも米や野菜の無農薬・有機栽培に取り組んだ。
「今では有機農業、自然農法などは当たり前でよく聞きますが、うちの両親は自分が小さな頃から、よそから“変⼈”扱いされるほど⾃然にこだわった⼈でして。雑草のなかで野菜を育て、⽥んぼには農薬をまかずにアヒルを放って⽶を栽培してきました」
そんな父親の背中を見て育った純さんは、小さい頃から「ぜったいに継がないと思っていた」。2代目として継いだのは「成りゆきですね」と言う純さん。高校時代は、動物園の飼育係になりたいと考えていた。
レッサーパンダ、ホッキョクグマ、アジアゾウ、シロサイ、チンパンジー……。図鑑で見てきた動物たちが絶滅危惧種に指定されていることを知り、衝撃を受けた。「大きな動物園で、種の保存の役割を担いたい」。そう思った純さんは、大卒のほうが就職に有利になると考え、東京への憧れもあって東京農業大学(東農大)畜産学科へと進学した。
大学時代は野生動物の保護を中心に学び、動物園への就職を目指して宮崎県宮崎市にあるフェニックス自然動物園での実習も経験した。ところが卒業年の2000年は就職氷河期。大手動物園の新卒採用枠から大卒が消えた。
断念した純さんは実家のある都城市へUターン。がまこう庵の近場にある温泉施設で働いたり、製菓学校に1年通ったのちに「紙ひこうき」というケーキ屋で働いたりして過ごした。一方で、父親の身体も衰え、頼まれて店を手伝うことも多くなっていった。
「継いでくれるんだろうというプレッシャーもひしひしと感じていました」。そう話す純さんは今から15年前の2008年、31歳のとき、正式に2代目となることを決意した。
だが、すでに人気店だったとはいえ、さまざまな苦難がのしかかる。
代替りしたとき、常連客から「味が変わった」と怒られた。直々に長い時間をかけて教わった父親から「味は変わっていない」とのお墨付きを得ていたが、「若造が打っている」と感じる客の目線は厳しかった。
なにかを変えないといけない。けれど、なにをしていいかわからない時期が続いていたところへ、宮崎県で発生した口蹄疫の流行が襲った。
2010(平成22)年3月頃に口蹄疫が発生すると、被害拡大とともに客足も激減した。同年7月に終息が確認され、ようやく平穏が戻りつつあった2011年1月、今度は霧島連山の新燃岳が300年ぶりにマグマ噴火するという災害が起き、また客足は遠のいた。
だが、災い転じて福となす。純さんのなかで、なにかが吹っ切れたのだ。
「そのとき思ったのは、自分は親の店、親の味を守ろうと固執していたなと。でも、もういっかと。自分の代で、自分のやり方で店を盛り上げよう。自分は自分だし、やりたいことをやっていこう。そう思えて、いろんなことを始めたんです」
結婚をして子どももできて、ようやく“自立”した気分にもなれていた。自分なりに経営していく覚悟が生まれた純さんは、がまこう庵を自分流に変えていく「3つの変革」に取り掛かった。
まずは、メニュー改革だ。
地元農家とのコラボメニュー続々
2012年、「地頭鶏(じとっこ)そば」を開発し、メニューに加えると、いきなり当たった。宮崎ブランドの地鶏「みやざき地頭鶏」の炭火焼きが具となり、その旨味が出汁に溶け込んだ逸品だ。
地頭鶏の仕入れ先は、がまこう庵のある西岳地区の隣、山田地区にある地頭鶏販売店「鶏愛」。飼育方法や環境、出荷管理など、みやざき地頭鶏の厳格な規定をクリアした生産者だ。
経営するのは川野賢一さん。純さんが地元の温泉施設で働いていたときの“上司”でもある。
上司といえど、友人のようなもの。飲み会の席で、「地頭鶏を蕎麦に入れたらおいしいんじゃないか」と盛り上がり、実現した。当初は期間限定メニューとして出したが、あまりの人気にレギュラー化。今では、父親の代からの伝統メニュー「二味そば」「長寿そば」に次ぐ不動の人気商品となっている。
ちなみに、がまこう庵の田んぼに放っているアヒルを、前述の川野さんにさばいてもらい、食材としていただく「あひる南蛮そば」も、毎年待つファンがいるほど人気の期間限定メニュー。大きくなりすぎたアヒルは翌年も田んぼに放つと稲を倒してしまう。客にいろんなことを知ってもらうためにも、感謝しながら店で出すようにしている。
2015年から始めた「サラダそば」は、毎夏、登場する夏の定番メニュー。地元の有機野菜の具材に、さっぱりとした自家製の豆腐ドレッシングがかかっている。そこに、牛乳を煮詰め、水分だけを蒸発させたチーズのような自然食品「甘乳蘇」をまぶした。
仕入先は都城市中山間地域等の一つ、山之口地区にある「ミルククラブ中西牧場」。同牧場の跡継ぎは中西朋晃さん。東農大畜産学科の後輩でもある。
「いま思えば、農大に行っておいてよかったなと思います。一回、外に出たことで客観的に田舎が見られるようになって、チャレンジしやすくなっている。ずっと都城にいたら、こういう感覚はなかったですし、人脈もちゃんと生きています(笑)」
ほかにも、「松山牧場」から仕入れた「都城和牛」を贅沢に使った「都城和牛そば」や、山之口地区のしいたけを使った「大杉しいたけ園のきのこそば」など、地元生産者とのコラボレーションは枚挙にいとまがない。
期間限定の新メニューはこれまで10種類以上が開発され、がまこう庵の定番となり、それを楽しみに足繁く通う常連も少なくないという。
ちなみに、がまこう庵では蕎麦のつけあわせにカリカリとした食感が特徴的な「酢大豆」を提供している。もとは佐賀県の大豆を使っていたが、2018年から都城で育った在来種の「みやだいず」に変えた。新メニュー以外にも、地元へのこだわりが垣間見える。
純さんによる変革は、こうした蕎麦づくりにとどまらない。
地元産の食材や加工品を直売
天然酵母のパンに、蕎麦粉を使ったクッキーやかりんとうなどのお菓子……。がまこう庵の店内は、食品雑貨店かと見まがうほどさまざまな食材や加工品であふれている。店頭販売の品数は、じつに100種類。こうした「ショップ」としての取り組みを本格的に始めたのも純さんだ。
純さんの父親の代から、自分たちで育てた野菜や米などの店頭販売はやっていた。それを2015年くらいから大幅に増やしていった。
「自分たちで作ったものを加工する、いわゆる“6次化”を先駆けてやってきた感じです」と純さん。まずは、自前の畑で採れた果実などを使ったジャムや梅干し、赤しそジュースなど、蕎麦関連にかかわらず、自家製の加工品を拡充していった。
中でも人気商品が「特製柚子胡椒」。年末に店裏の畑で採れた柚子をスタッフ総出で剥き、同じく自家栽培の唐辛子や宮崎産の塩、そして、自分たちとアヒルが育てた“アヒル米”に麹菌を混ぜた米麹をあわせて10カ月寝かす。毎年、10月頃に約500本を販売するのだが、2022年は1週間ほどで完売した。
6次化ではないが、蕎麦粉や小麦粉など、仕入れた原材料で、お菓子などの製造も始めた。
蕎麦の香りがする味わい深い「そばクッキー」は最たる人気商品。純さんがかつて、菓子の学校やケーキ屋で働いていた経験を生かし、何度も試作を重ねて開発した自信作だ。
そうした加工品やお菓子以上に人気を博しているのが「そばやの天然酵母パン」である。
もともと、純さんが継ぐ前に、純さんの母が「美味しい天然酵母パンを夫(先代)に食べさせたい」と、ドイツまでいってパン修行をしたことがきっかけ。これを純さんの妻、蒲生結香さんが引き継ぎ、本格的に展開し始めた。
あんぱんなどベーシックなものから、都城産きんかんで作ったジャムが入ったパンや、自家製バジルにカシューナッツを加えたペーストを練り込んだパンまで。パン屋顔負けの本格的なラインナップが人気を博している。
「自分は父親から蕎麦を教わり、嫁は母親からパンを教わりました。二代目どうしの対決が現在、山奥の蕎麦屋で日々行われています。パンの勢いに負けそうですが」。そう卑下する純さんだが、どこかうれしそうだ。
がまこう庵の直売はこれらの“自家製”だけではない。
タイミングにもよるが、近隣、同じ西岳地区吉之元町の養鶏農家「たまご家族」が作るこだわりのたまご(6個350円)や、隣接する鹿児島県霧島市にある「あらた農園」の採れたて野菜などに出会えることも。ともに店頭在庫があればラッキーという人気商品で、売れ残ることはない。
もはや、ショップというより、ちょっとした「道の駅」。だが、業容拡大、儲けのためかというと然にあらず。たまごも野菜も手数料などは得ず、店に置いているのだという。理由を聞くと、純さんはこう答えた。
「生産者さんの思いをちゃんと知っていて、うちの店の理念にもあっているから。それと、お客さんが喜ぶからです。コラボメニューもそうですが、しっかりとした生産者さんと一緒にいろんなことをやれるというのが都城の魅力であり、強みなんだと思います」
コラボメニューに直売。もう一つ、純さんが行った変革が、冒頭でも紹介した情報発信である。
郷土料理から旅行までSNSで連日発信
「都城のそば、庄内そばを発信していき、多くの人に知っていただき、食べてもらい。そばの都城。そばの宮崎県にしたいです」。2015年、純さんはがまこう庵の公式サイトに掲載しているブログに、こう書き込んだ。
がまこう庵や庄内そばを一人でも多くの人に知ってもらいたい――。最初は、そんな気持ちでブログを始めた純さん。
いまではInstagramを中心に「X(旧Twitter)」や「Facebook」、「YouTube」などあらゆる主要SNSも使いこなし、24時間で投稿内容が消える「ストーリーズ」も含めれば、連日、なにかしらの投稿がなされている。
蕎麦以外の話題も多い。
「鯉のぼりの揚がるこの季節。食べたくなる『あくまき』。この辺りの郷土料理です。南九州では当たり前のあくまき。。。最初に言っておきますが『ちまき』ではないのでそこは注意してくださいね(笑)、あくまきを簡単に言うとわらび餅みたいなお餅です。このあくまきは作り方が実に面白い」……。
2023年5月、南九州で古くから親しまれている郷土料理「あくまき」を紹介すると、懐かしむ声とともに1000以上のいいね!が付いた。最近は、沖縄に家族旅行で赴いた先のエピソードなども掲載した。
もちろん、庄内そばや、がまこう庵の魅力を伝えたいという思いもある。が、それだけではない。
「仲間を盛り上げていきたい気持ちが強いんですよね。あと、自分のことも、最近はそばだけじゃなくて、趣味の好きなことからくだらないことまで、なんでも上げている感じです。とにかく、この田舎で楽しんでいる雰囲気を出したいなと。そこに共感してくれるお客さんに来ていただきたいと思っていて」
身土不二の理念に集う仲間たち。その価値観への共感の効果たるや絶大だ。新メニューや新商品を載せれば、その日にSNSを見たという客がやってくる。
「一番よかったのは、お客さんとつながれること。前までは、来てもらって、ありがとうございます、で終わっていた。でもSNSがあれば、それ以降もつながることができるし、関係性も深まる。自分も、喜んでもらえると嬉しくてエネルギーになるんです。説明すればそういう感じですが……、好きなんでしょうね(笑)。じゃないと続かない」
地域と父親への思い
自分のやりたいことを、やりたいようにやろう。そう決めてから10年余り。創業から半世紀が経とうとしている老舗蕎麦屋は、2代目によって活気づいている。
純さんが手がけた3つの変革は、引き継いだ蕎麦そのものの魅力をさらに高め、拡散させた。根底には、地域の生産者へのある思いがある。
「地元の食材を通じていろんな生産者さんと出会い、コラボしていくなかで、地域への愛情が深まっていったんですね。どんどんと地元を好きになっていった。だから、やっぱり地元の生産者のひとに喜んでもらいたい、というのがまずある」
「自分たちでも農業やるけど、こんだけ期間をかけてがんばってるのに、農作物の値段が安すぎる。なので、生産者さんが儲かることが一番というか、幸せになってもらいたいんです。だから自分は食材を絶対に生産者さんの言い値で買うと決めているし、店に置く直売商品の値段も自由に決めてもらって、手数料を取らないこともあります」
純さんに、「都城市の中山間地域など8地区の活性化に貢献していますよね」と水を向けると、「そんなふうに考えてやっていない」と言い、こう続けた。
「地元を一緒に盛り上げたいという気持ちはあるけれど、果たしてそれが活性化なのかというと……、そういう自覚はないですね。いろんなひとと絡んで、庄内そばを、都城の食材をもっと多くのひとに知ってもらいたい。ただ、それだけです」
本人はこう謙遜する。ただ、地元の生産者を巻き込んだ変革が結果として、地元の農業・畜産業のためにもなり、地域全体の振興に一役買っている。人口減と高齢化に喘ぐ都城市の中山間地域等にとって、がまこう庵が貴重で力強い存在であることは事実だ。
最後に、師匠でもある父親について聞いた。
「田んぼにアヒルを放って米を育てている親の背中を見て、小さい頃は自分はやりたくないと思っていたけれど、今はそれが価値だと思う。自分が経営しだしてから、この店の価値、親父がやってきたことの価値に気づきました」
「今思えばウチの両親はかなり先見の明があったなぁと思います。両親が長年やってきたことがあるからこそ、今、自分たちもやれているし、お客さんからも信頼していただけている。自分は、親が築いた価値を引き継いで、それをちょっと発展させているだけなんだと思います」
親から子への家業の承継がままならない時代。親が築いたものを尊敬し、新しい世代なりの変革で気を吐く、がまこう庵。その発展は、地域活性化のみならず、事業承継問題にも光をもたらすだろう。
(次回に続く)