盗むことも許されていた風習

シキを被りメシゲを手に持つ「丸谷大年神社の田の神さぁ」
南九州で古くから祀られてきた五穀豊穣を願う田の神信仰の石像「田の神様」。田畑の脇や高台、集落の隅などに鎮座し、頭には大きな「シキ(蒸し物をするときに釜とセイロのあいだに挟む藁製の編み物)」を被っていたり、「メシゲ(しゃもじ)」やお碗を持っていたり、はたまた座っていたり踊っていたりと、さまざまな表情・姿を見せてくれる。
その魅力については前回記事でもお伝えした。今回も前回に倣い、地元で親しまれている呼び方「田の神さぁ(タノカンサア)」を踏襲したい。

えびの市では田の神さぁが観光資源としても活用されている
田の神さぁは、鹿児島藩を中心に根づいた文化で、宮崎県の一部にも田の神像が分布している。都城市でも約180体が確認されており、個性豊かないでたちが筆者を含む多くの人々を今も魅了している。
前回は、さまざまな“みやこんじょの田の神さぁ”たちを紹介してきたが、今回は取り巻く文化の側面から魅力に迫っていきたい。田の神さぁにまつわる風習もまた、個性的というか、ユニークである。
田の神さぁは神官によって祭祀が行われるようなことはほとんどなく、あくまで農民が暮らしの中で祈りや感謝を捧げるための“庶民的”な神様だった。それどころか、不作の時には汚しても転がしても決して祟ることのない神様であり、ずいぶんと心が広い神様である。
さらには、盗むことも許されていたというから驚きだ。その風習は「オットイタノカン」と呼ばれている。
「オットイタノカン」の置き手紙
「オットイ」とは「盗む」という意味。つまり「オットイタノカン」とは「田の神を盗む」ということ。豊作が続く地域の田の神さぁを祀ると米がよく獲れるようになるため、不作に悩む地域の人々が豊作の地域の田の神さぁを盗んで自分たちの地域に祀っていたという。
田の神さぁは盗まれた先でも不平を言うことはなく、行った先々で田んぼを守ってくれるのだとか。おおらかな田の神さぁ。困ったときはお互い様という人々の関係性を現したような風習でもある。

オットイタノカンに遭った「二原の田の神さぁ」(小林市)
さすがに最近では「オット」られるようなことはなくなったようだが、小林市においては1977(昭和52)年、「二原の田の神さぁ」がオットイタノカンに遭ったという記録が残されている。
二原の田の神は、昭和52年5月18日夜から19日の朝にかけて、「おっとい田の神」にあい、突然消えて、地区住民をやきもきさせましたが、6月8日にもとの場所から300mほど離れた田んぼの畔に焼酎1本と置手紙と共に返還されました。
(「小林の田の神さぁ 二原のおっとい田の神」小林市教育委員会)
その際の「置き手紙」は次のようなものだった。
宮崎県農民連盟の緊急な要請により地区の皆さんにことわりもなく諸県地方の巡視かたがた漫遊に出ておりもした。誠に申し訳ない。実は七月に予定されている参議院議員の選挙の件、それと米・畜産物の価格安定の件、中でも米の値段をもっと引き上げてもろうように要請に行ってきもした。だいたい、わしの考えていたようなことで話がまとまったので戻ってきもした。おさわがせしてスマン。
米作りにはげんでもらいたい。もうどこにも出張しないので、今までどおりつきあっていただきたい。
お礼に焼酎一升貰ってきもした。どうかよろしく。(同上)
なんともユニークで人間味にあふれた文面に、思わず口元がゆるむ。
「オットイタノカン」対策も
ちなみに、盗んだ田の神像は3年以上置くと不作になるとされ、盗んだ村の者たちは3年経ったらお礼として米俵や餅、焼酎などを持ってにぎやかに楽器を鳴らしながら田の神像を返しに送っていき、戻される村では「サカムケ(酒迎)」として宴を開いたという。
しかし、このしきたりは徐々に守られなくなり、盗まれたまま返されないケースが増えたため、コンクリートで土台に固められる田の神像も増えていった。

しっかりとコンクリートに埋め込まれている「南横市の田の神さぁ」
安永年間(1772〜1781)に建立されたといわれる「南横市の田の神さぁ」は下半身をコンクリートに埋められており、まさにオットイタノカンから守るためだったのではないかと考えられる。
ほかにも、オットイタノカンから守るため、山の中に隠したり、地域の者以外には場所を教えなかったりといったことも多かったようだ。青山幹雄著『宮崎の田の神像』には次のように残されている。
仕事に出てしまって人かげのない村の中を、田の神より人を求めて訪ねあるき、ある農家で七十歳ぐらいの老人をみつけ、田の神はないかと話しかけました。
「おいやっど、ないしなはっと」
「好きで研究しているのですが、どっちいけばよかっでしょうかい」
「すぐそこやっどんな。よそんしにゃ教えられんこちなっちょりますが」
「それは困りますが、何とかなりませんか」
「あたやぁ、教えてっちゃけんど、きまりじゃっでな」
(中略)とうとう教えてもらえませんでした。
身元を明かした上でも教えてもらうことが叶わなかったと青山氏は併せて記しており、田の神さぁが地域の人々に大切に守られてきた存在であることが伝わってくる。
酒呑みの「田の神講」と風化
ユニークという点では、酒を呑みたいがために受け継がれた風習もある。毎年、春の祈願と秋の収穫の際などに祭りを行う「田の神講」だ。
もともとは、単なる祭祀としてだけでなく、薩摩藩による圧政に苦しんでいた農民たちの数少ないうっぷん晴らしの機会として機能していた。日頃楽しみが少ない農民たちが知恵を絞り、どうにか酒を呑む方法を考えた結果が、豊作を祈るための田の神講だった。
役人側においても、米は藩の財政を支える重要な品目。農民たちに自発的に田の神さぁを作らせ、田の神講を行わせることで、生産意欲をかき立てていたという。
田の神講と同じくして「回り田の神」という風習を行う地域もあった。
これは、田の神像が年ごとに家庭を回る風習で、当番の家庭では田の神像に化粧をし、大切に床の間に飾っていたという。平日に皆で集まり、酒を飲むことが禁止されていた時代、この日だけは酒を飲むことが許されたとも。また、持ち運びしやすいよう、小型サイズの田の神さぁも作られるようになった。
しかし、近年においては農業人口の減少などから祭事の開催は徐々に難しくなり、都城市でもその様子を見ることは難しくなっているようだ。
現代において田の神さぁ自体の存在感もずいぶんと薄れてしまっている。農業に携わる人々の減少はもちろん、農業の機械化や省力化の推進により地域総出で田植えや稲刈りをすることも減り、都市化も進んだ。

下金田営農研修館に鎮座する「下金田の田の神さぁ」
加えて、田の神さぁの多くは屋根のない場所に置かれている。雨風による侵食や劣化が進んでいるものも多い。表情や持ち物が分かりにくくなっている田の神さぁも多く、過去の写真と比べると姿形が変わりつつあるものも存在する。
保存や管理は行政ではなく、田の神さぁが設置されている土地の所有者や公民館などに委ねられており、難しい面もあるのが現状だ。
水田や地域との結びつきを失ったとき、田の神さぁは何を見守るのだろうか。田の神さぁの文化が各地で消えつつあるのは、仕方のない面もあるのだろう。
とはいえ、田の神文化が途絶えたわけではない。
田の神さぁの願いを未来へ
宮崎県内有数の米どころであるえびの市の末永地区では、現在も毎年5月4日に「田の神祭り」が行われている。
2025(令和7)年4月には、鹿児島県薩摩川内市で倒れた田の神を住民が起こすところから始まるユニークな祭り「田の神起こし」が17年ぶりに行われるなど、田の神文化を受け継ごうとする動きも出てきた。
歴史を体現する貴重な資料として保存していこうという動きもある。
都城市では直接的な保存活動は難しいものの、過去には現地調査を行い、田の神像の大きさや由来、銘の有無などを記録・リスト化し、その一部を都城市文化財データベースで公開するなどしている。

都城歴史資料館の田の神さぁ
また、中庭に田の神さぁがいる都城歴史資料館では、田の神さぁについて紹介するパネルを展示したり、企画展で大きく紹介したりと、その存在を未来に繋ぐための努力が続けられている。
わずかではあるが、新たな田の神像の建立もある。その一つが、都城市の沖水川流域に1996(平成8)年、建立された「境園の田の神さぁ」。郡元の「ゲンジボタルの生息地」近くに鎮座し、現代の人々を見守っている。

郡元の「ゲンジボタルの生息地」近くに鎮座する「境園の田の神さぁ」
古い田の神さぁも、新しい田の神さぁも、最後までその場で地域を見つめ、人々の生活に寄り添い続けてほしいと願う。確かに存在感は薄まり、文化は絶えつつあるが、米不足や価格高騰のニュースが話題になる昨今、田の神さぁが祈り続けてきた「豊かな実り」への願いは、決して過去のものではない。
田んぼの傍らで微笑む姿は、私たちに大切なことを思い出させてくれはしないだろうか。

「西高木の田の神さぁ」は手作り感あふれる彫りがたまらないかわいさ
もしかしたら、あなたがこれまで何気なく通っていた道の傍らに田の神さぁは静かに佇んでいるかもしれない。田畑の広がる一帯や墓地の一角などに鎮座していることもある。
いつもより少しだけ歩みを緩めて、田の神さぁを探してみるのもきっと楽しいはずだ。見た目のユニークさももちろん魅力だが、その刻んできた歴史にも想いを馳せたい。
また、前回記事の繰り返しになって恐縮だが、田の神さぁは狭い農道脇などに設置されていることが多いため、見学する際は農家の方を優先し、交通ルールを守ったうえで訪ねてほしい。今でも地域の大切な神様であることには変わりはない。敬意を払って見学してもらいたい。
田の神さぁは、田畑だけでなく、いまを生きる私たちの心もそっと耕してくれるはずだ。
参考文献:
青山幹雄『宮崎の田の神像』
八木幸夫『田の神のすべてが分かる本 田の神サァガイドブック』
八木幸夫『田の神石像、誕生のルーツを探る 仏像形、神像系、その他の分類と作製年代を考察する』
『都城市史 通史編 中世近世』
『都城市史 別編 民俗文化財』
小林市教育委員会『小林市の田の神さあ』
えびの市歴史民俗資料館『田の神さぁ』
宮崎県季刊誌Jaja VOL.13『特集:田の神さあをめぐる』
取材協力:
都城市文化財課