分野が違う3つの顔
都城市の中心部、中央通り沿いにケーブルテレビ局「BTV」が入居するIT産業ビルがある。その8階に構える自身のオフィスに、彼女は一人で颯爽と現れた。
彼女の名は大工(だいく)蘭子さん。
2022(令和4)年11月、大工さんは米ロサンゼルスで開催されたミスコン世界大会、ミス・ミセスアジアUSAで「ミスアジアグラマー」のグランプリを受賞。今年2月、宮崎県の河野俊嗣知事や、都城市の池田宜永市長を表敬訪問し、ニュースにも取り上げられた。
華やかな世界に生きる彼女は、大阪市に本拠を構えるITベンチャー、スマイルラボの創業社長でもあり、女性活躍支援を手がける社会起業家でもある。2016年からは、都城市からの委託で女性活躍促進事業「WOMAN PROJECT」を毎年、継続して運営している。
ミスコンに、ITベンチャー、そして女性活躍支援。彼女を表す顔は一見、離離たるように見えるが、然に非ず。3つの点は線でつながっている。
もともと都城市出身で、曲折を経て、2020年にまた都城市へと帰ってきた大工さん。彼女の生き方や思想を追った。
音楽活動に勤しんだ20代
大工さんは45年前の1977年、都城市内で鉄工所を営む家に生をうけた。
小さい頃から男勝りの性格だったという彼女は、建築を学びたいと都城工業高等専門学校(都城高専)へ進学。20歳で卒業し、宮崎市内の建築デザイン会社に就職した。
ただ、学生時代からバンド活躍を続けていた大工さんは音楽の道も諦めきれずにいた。小さなオーディションを受けたら合格。音楽活動に専念するため1年間貯めたお金を元手に1999年、福岡市に転居した。そのときのことを、彼女はこう振り返る。
「まわりは、都城が田舎で嫌だから都会に出たいという子が多かった。私はそういう考えではなくて、やりたいことがたまたま音楽。都城に音楽の仕事はない。仕方なく、と言うと大げさだけれど、そういう感じで出たんです」
ボイストレーニングなどを続ける傍らで、学生時代のバンド仲間から「また一緒にやろう」とオファーを受け、2000年、仲間が当時いた大阪へと向かう。22歳のときだ。
大阪の芸能事務所にも属し、ソロシンガーとしても活躍し始めた。2002年に所属事務所のインディーズレーベルでCDデビュー。2004年には、バンド「Vibes」のアルバムへの参加というかたちで、コロムビア・レコードからメジャー・デビューも果たす。
一方で、バンド仲間とは方向性の違いで離れることになり、大阪の事務所もやめ、2004年、今度は東京へ向かった。
とは言え、まだ音楽一本だけでは生活できない。細々と、音楽仲間から来る依頼を受け、仕事にしていた。それが、今の仕事にもつながる「ウェブデザイン」である。
結婚と大阪時代の「気づき」
当時はまさに、インターネットの勃興期。企業に加え、音楽アーティストも続々とホームページを立ち上げていた。
大工さんも、自分たちの活動を発信していくウェブサイトが必要と考えたが、企業に頼むほどのお金はない。ただ、数千円するホームページ制作の書籍を買うお金はあった。
「まずは本を買って、一人でバンドのサイトを作ったんです。独学で。それから、ライブイベントなんかのチラシも必要だったので、それも一人で勉強してパソコンで作って。ぜんぶ、必要に迫られて学んで、作ったという感じです」
「蘭子はホームページ作れるみたいだぞ」「フライヤーのデザインもできるらしい」。そう、口コミで広まり、音楽仲間や音楽関係のコミュニティから、ぽつりぽつりと制作依頼が舞い込むようになった。
「これを本格的な仕事にすれば、ツアーで全国を転々としてもできる」――。そう考え始めた矢先の2010年、32歳の時、大きな人生の転機が訪れた。結婚だ。
結婚相手の職場は関西圏に限られていたため、大工さんは大阪へ戻ることを決意。それを機に、個人事業主としての仕事や音楽活動はいったん“休止”することにした。
ただし、本人いわく、常に動いていたい性格。「ちゃんとした組織でウェブデザインを学んでみたい」という思いがあった彼女は、大阪のIT会社で働き始めた。現場でデザインを学びたくて入社したものの、プログラマーやデザイナーを差配するディレクション業務の担当に。希望とは違ったが、気づきを得た。
「スキルはすごく高いけれどコミュニケーションは苦手で、自分ではなかなかお仕事を取れない人もいて。そんな私よりすごい人たちのサポートをもっとしたいという気持ちになった。お客さまの課題を聞いて、適した人をつなぐ仕事って面白い!って思えたんです」
ディレクション業務の面白さを見出した大工さんは個人事業主としての活動を再開。自身で制作を手がけることもあったが、チームとして受注することも増え、仕事にのめり込んでいった。
34歳で1人目を、36歳で2人目を出産。産まれる直前まで自宅でパソコンを叩き、2人目を産み終わった直後の分娩台で仕事の電話をしていたほどだという。
そして2015年、37歳の5月。下の子がまだ8カ月の時、ウェブデザインなどのITサービスを手がけるスマイルラボを起業した。「悩める女性」の存在が、背中を押した。
悩める友人の笑顔を取り戻すために
出産を機に、子連れの友人女性との交流が増えていた。
建築の仕事で着実にキャリアを積んでいた友人は結婚して仕事を辞めていた。夫は転勤族。ずっと子どもと家で過ごす日々。「夫についてまわらないといけないから、キャリアを積めない。蘭子はいいなぁ」。子育てに疲れ、笑顔が昔より減っているように感じた。
その女性に限らず、子育てで社会との接点を失い、気持ちが沈んでしまっているように映る友人は多かったという。
「スキルがない。外へ働きに出られない。勇気が出ない。ないないないのマインドになっちゃっていた。わからんでもないけれど、結婚とか出産とか、おめでとう!って言ってもらえる出来事で笑顔が減るって、おかしい。なにか私にできることはないか、というのが会社を作る最初のきっかけでした」
スキルがなければ、身につければいい。就職が難しければ、フリーランスで家でやれる仕事をすればいい。ウェブデザインの分野であれば、スキルを教えることはできる。幸い、個人では回せないほど仕事の案件は増えており、紹介もできる。
周りにいる何人かの悩める女性のために、新しいチームを作ろう。“笑顔”を取り戻すためのお手伝いをしよう。そんな思いを込めて、会社名はスマイルラボと名付けた。
仕事は企業からの受託がメイン。ウェブデザインに加え、ライティングから動画制作、資料作成、メール送信代行業務まで、パソコンでこなせる仕事はだいたい受けた。
社員は大工さん一人。会社は、「つなげたい」という思いを実現し、「雇われない働き方」を実践する装置。プロジェクト単位でいろいろな女性がジョインした。そのうちに、友人以外の女性にもネットワークが広がった。
この2年は、LINEのマーケティングツール「Lステップ」の仕事に注力し、女性が活躍できるSNSチームを作っている。
Lステップは、LINE公式アカウントの運用に特化した「マーケティングオートメーション(MA)」ツールの一つ。人に変わって自動的に返信したり、個別に内容を調整して自動配信したりできる。スマイルラボは、その導入支援を企業向けにしている。
Lステップに限らず、ITスキルを身につけたい人は、つけてもらう。そうでない人にも、パソコン1台とかんたんなレクチャーでこなせる仕事を紹介している。今では、スマイルラボに登録しているメンバーは約200人に。ほぼすべてが女性で、8割がママだ。
「なにかやりたいことあるんだったら、じゃあ、そのお手伝いします。こういうお仕事ありますよ、どうですか?というスタンス。大前提として、働いてください!とは言っていません。ただ、輝いてほしいだけなんです。もっと人生を楽しんでほしいなと」
その精神は、都城の女性支援にも生かされている。
「WOMAN PROJECT」で増えた笑顔
もともと地元・都城が大好きな大工さんは、お盆と正月にタイミングがあわなくても、年に2回は必ず帰っていた。そんななか、地元にも悩める友人が多いことを知った。
「東京とか大阪はいいよね、学びの機会が多くて」と田舎のせいにしている。「ネットはどこでも使えるやろ」と伝えたところで、行動するわけでもない。「意識改革が必要だな。こっちで、なにかしないと」。
もともと、地方創生と女性支援のかけあわせのようなことを、できれば地元でできないかと考えていた大工さんは行動に移す。
企業コンテスト「宮崎スタートアップバレー」を知り、「ママのパワーで都城をブランディング」という企画で参加したところ、グランプリを受賞した。その後、都城市の女性活躍促進事業のプロポーザルに参加し、複数社の提案のなかから、大工さんの企画が通った。それが、7年間続けているWOMAN PROJECTである。
目的は、一歩踏み出す事で世界が変わっていった自身の経験を都城の女性にも共有し、どこに住んでいても、どんな環境でも、いくつになっても、チャレンジ出来ると知ってもらうこと。在宅ワークの「スキルアップ講座」を通して可能性を広げ、チャンス掴んでもらうこと。さらには、夢を語る大人でいっぱいの都城にすること。そして、笑顔を増やすこと。
講座は、1回3時間、3カ月で12回が基本で、スマイルラボ都城支社で開催する。テーマはウェブデザインが中心。最近では「LINE公式アカウント支援」「YouTube動画制作」といった講座も増やし、トレンドやニーズに対応している。受講中はオフィスが入るIT産業ビル2階の無料託児所で子どもを見てもらうことができる。
2016年度から累計で16回の講座を実施し、約160人が“卒業”していった。ただし、よくある「職業訓練」とは異なると大工さんは話す。
「スキルを身につけて仕事になる人もいれば、1回3時間、子どもを預けて、自分のための時間ができて、心が豊かになった人もいる。同じ境遇で、同じ志で一緒に学べるお友達ができたとか、いろんなプラスがある。とりあえずやってみよう!あわんかったら、やめればいいじゃんって。私は、少しでも笑顔が増えてくれれば、それでいいと思っています」
大工さんは2019年に講座を受けた女性の言葉が忘れられない。ずっと家で子育てしてきたその女性は受講後、大工さんに「1人の人間に戻れました」と言った。
「そこまでだったのか、って思いました。『子どもにイライラあたってしまうことが減った』という声も聞きます。自分がうまくいっていない、自分に納得いっていないから、こうなっていることに気づけた。その意味では、子どもの笑顔も増やせたのかな」
悩める女性のために立ち上がった大工さん。創業から4年後の2018年、今度は「ミスコン」へと挑戦する。
「女として見られるのが嫌だった」
「私、ミスコンに挑戦するまで、持っていたスカートは冠婚葬祭用の黒だけで、ほとんどパンツスタイル。女性としての自信が今一つないというか、『女として見られるのが嫌だ』という自分がいたんです」
ミスコン参加の理由を聞くと、意外な答えが返ってきた。
小さい頃から、「女のくせに」という言葉に反応する自分がいた。「女だからなに?」と。女性の友人も多いが、都城高専に通っていたことや音楽活動をしていたこともあってか、男性の友人も多い。仲間としては男性といるほうが気楽だという。
都城市からの受託をきっかけに、チーム作りやマネジメント、コーチングを本格的に学び始めた。講座や合宿に参加し、自分と向き合い、自分という人間を掘り下げていった時、「女性として見られること・扱われること」への苦手意識があることに気づかされた。
そんな折、2017年12月、40歳の誕生日を迎えた頃、知人から「ミスコンに出てみない?」と勧められた。それまでの価値観からすれば、忌避すべき。しかし、大工さんは真逆の決断を下す。
「経験したこともないのに、何をそんなに嫌がっているんだろうって。決めつけるのは良くない。苦手意識があるとわかった以上、すごい怖いことだけれど、克服への興味もあったし、年齢の節目でもありました」
「WOMAN PROJECT の受講生などにも折に触れ『チャレンジが大事!』とずっと言っていました。私自身がチャレンジしている姿を見せて、勇気を出してもらいたかったというのもあります」
そうして出場した「ミセスジャパン2018大阪大会」では準グランプリを受賞し、各エリアの代表が集まる日本大会では世界大会に出場できる権利を獲得。マレーシアで開催された世界大会「ミセスアジアシュプリーム2018」ではグランプリを逃したものの、特別賞を受賞した。
その後、2019年からはミセスジャパンの運営サイドにまわり、当時まだ開催がなかった九州大会を主催者として立ち上げ、実現。翌20年にはコロナ禍のなか、クラウドファンディングも活用しながら、オンライン配信をとりいれた企画で福岡大会、宮崎大会の2大会開催を実現させた。
2021年までに、九州圏内でジュニアの大会も含め7大会を主催。何度も大会へ挑戦するコンテスタント(出場者)をサポートするなか、「再挑戦をする経験を私もしてみたい。そして、前回の世界大会では見ることが出来なかった、世界大会グランプリの景色を見てみたい」と、自らもミスコン世界大会への再挑戦を決意する。
せっかく挑戦するならと、米Virgelia Productions(バージリア・プロダクション)主催で、米ハリウッドの講師陣からレッスンも受けられる世界大会「ミス・ミセスアジアUSA」にエントリー。35年の歴史がある大会で見事、ミスアジアグラマーとしてグランプリに輝いた。
「不健全なジェンダー平等だった」
挑戦して、なにが変わったのか。
「今は、女性として見られることが嫌じゃなくなりました。『私、男性でも女性でもない人間です』みたいな考えでしたが、とことんチャレンジしたことで『女性です!』と胸を張って言えるようになれた」
「今は、女性らしいことの素晴らしさが理解できるし、女性らしさを出せている人を素直に『素敵だなぁ』とも思える。男性に対してもそうです。でも、女性として見られたいかというと、そうでもない。以前から抱いていた感覚もまだある。どっちもある」
「両方を理解できて、初めてジェンダー平等なのかなと思っています。どっちかに偏って、なにかを否定している時点で平等ではない。女性だ、男性だと区別するミスコンのようなものを避けていた以前の私は、今考えると不健全な『ジェンダー平等』だったんだと思います」
ミスコンへチャレンジしたことで、新たなドアが開いた大工さん。悩める周囲の女性たちとなにが違うのか、最後に聞いた。
「結局、ぜんぶ自分の選択、自分の責任だと思っていることでしょうか。自分が動いていない、動けないマインドを、周りのせいにするのは失礼なんじゃないかと思っていて。例えば、元夫のせいで音楽をやめた、なんて思いたくない。結婚すると選択したのは自分なので。実際、音楽は休止しているだけで、やめたわけでも、諦めたわけでもありません(笑)」
図らずも、前回記事で取り上げたフジタカデザイン社長の藤高未紗さんと同じことを、大工さんも言っていた。
デザインで都城を支える女性集団 フジタカデザイン社長・藤高未紗さん
2022年に離婚という選択をした大工さんは、もう大阪にいる必要はないと、都城への“完全移転”を考えている。スマイルラボを創業してから8周年を迎える2023年5月、スマイルラボの本社を都城へ移す計画だ。
その後は、都城市で続けているWOMAN PROJECTを、宮崎県や九州のほかの自治体へも広げていきたいと目論んでいる。プロジェクトを手伝ってくれているメンバーや講座の卒業生から、「私も自分の地元でやりたい」という声が上がっているからだ。
「チャレンジする人って美しいですよね。チャレンジする人を心から応援できる人は、もっと美しいと思う。笑顔になれたみんなが、今度はほかの人を笑顔にする。笑顔の連鎖。素晴らしいじゃないですか」
大工さんがもたらす笑顔の数は、まだまだ増えそうだ。
(次回に続く)
活躍する女性3人の思い 人生、楽しく生きたもん勝ち!