「プロを呼べるレベルにない」
—— 最近では2025(令和7)年2月に「都城運動公園」で千葉ロッテ2軍がキャンプを実施し、同年4月には国際大会も開催可能な立派なスタジアムが「霧島酒造スポーツランド都城」にお目見えしました。

霧島酒造スポーツランド都城の主競技場「クロキリスタジアム」。世界陸連の国際規格「CLASS2」に県内で初認定された

都城市は「スポーツ合宿・キャンプ」の誘致も精力的で、2024(令和6)年度は256団体・7487人が市外から来訪。池田市政になってから団体数・人数ともに10倍以上の成長を遂げています。

近年、スポーツ振興にかなり力を入れている印象ですが、2012(平成24)年に初就任された時からスポーツに注力すると公言されていたのでしょうか?

都城市の池田宜永市長。2024年11月から4期目に入った
池田宜永市長 すみません、ちょっと昔のことすぎて(笑)。思い出しながら話しますね。
改めて振り返ると、1期目は「3つの宝」と言って、「農林畜産業の振興」「地の利の拡大」「人間力あふれる子どもたちの育成」を大きな柱に据え、まずは「都城」を全国の方に知っていただくということで、「ふるさと納税」をフックとした「対外的PR」などに取り組みました。

その流れを踏襲しつつ、対外的PRのもう一つのツールとして「スポーツ・文化合宿の積極的な誘致」を通じて都城を知っていただく、ということを2期目にマニュフェストや「市民の皆さまへのお約束」として明確に書いたと思います。
—— ただ、1期目の2014(平成26)年に、スポーツ合宿への補助金をそれまでの「1人1泊600円」から約3.3倍の「2000円」へと一気に引き上げています。
池田市長 そうですね。それはマニフェストということではなく、就任してから課題が見えたので「じゃあ拡充していきましょうよ」とすぐに着手しました。それもあって2期目のマニュフェストで「スポーツ・文化合宿の積極的な誘致」と明文化したという流れです。
—— なぜ、スポーツ合宿への補助金を引き上げようと考えたのでしょうか?
池田市長 これも順に振り返ると、市長になって、いろんな数字やデータを確認するわけです。その中で、スポーツ合宿の件数というのがものすごく少なかった。ほかの市町村に遅れをとっていた。「プロ」の方々にもほとんど来ていただけていない状況でした。
ただ、スポーツ合宿・キャンプとなるとプロをイメージする方が多いと思いますけれど、就任当時の施設はとてもそういうレベルではありません。
一部、高城(運動公園)の芝生グラウンド(多目的広場)など、プロの方々の利用でも耐えうる施設はありましたが、県内の宮崎市や日南市なんかと比べると全体では劣っているなと。正直言って、うちのこの施設でプロなんて呼べないからね、というレベルでした。
「アマチュアターゲット」の補助金
池田市長 でも、手をこまぬいているわけにもいかない。施設整備はそのあとやっていくのですが、当時の施設でもやれることはあるんじゃないかと。
じゃあ、持っている施設で呼べるのはどういう方々か。それが「アマチュア」だったんです。プロが呼べないなら、アマチュアにお声がけしましょうと。
で、「移住政策」とか「ミートツーリズム」とか、いろんな政策と手法は同じなんですけれど、まずはターゲットを決めましょうということで、少年団や中高校生、大学生などのスポーツ団体を中心に考えていきました。
—— そこで補助金のアイデアが出たということですね。トップダウンですか?

都城市が配布している「都城市スポーツ合宿ガイドブック」の表紙などでも「2000円」の補助が強調されている
池田市長 そうですね。学生さんにとってなにが最もありがたいか。それは、安いってことだよねみたいな(笑)。
アマチュアであれば、サークルだろうが部活だろうが、施設がそこまで良くなくても合宿しに行くわけです。活動資金がそんなに潤沢にあるわけでもありませんので。
だから、より合宿に来やすくするために、市として支援できるところはしっかりしてあげて、まずは多くのアマチュアの方々に来ていただく。そのために、補助金の拡充をしたというわけです。
—— 移住の補助金と同様、スポーツ合宿についても、一気に全国トップクラスの額に増額しました。その理由や狙いは?

池田市長 それは、さっき言ったように、私自身、そこまでうち(都城市)の施設が充実していて、いい施設だと思っていなかったことが大きいかもしれません。
私が学生スポーツ団体のリーダーだったら、同じ補助金なら当然、いい施設のほうに行く。だからほかの自治体とある意味、“区別”や“差別化”を図って、より多くの方々に反応してもらって呼び込むっていうことをやろう。そんな話を担当の職員にもしたはずです。
それが、結果として「2000円」だったということだと思います。
池田市長 それに、訪問する側にとって魅力的な観点で呼び込んで、来てくれれば、学生さんたちもお金を落とさないで帰るわけでもない。そういう、地域活性化の一環としての発想からも「アマチュアターゲット」と言っていたはずです。
だから、そこが一連のスポーツ関連施策のスタートですよね。
市長に就任した最初の頃は、年間のスポーツ合宿が20団体も満たない規模だったのが、ぐんと伸びて、300団体を狙えるくらいにはなってきています。

出所:都城市
—— 補助金施策と同時に、スポーツ合宿誘致を担当するスポーツ政策課も補助金などのPRに動きました。こうした施策も、成長に影響したのではないでしょうか。
池田市長 これ、ふるさと納税なんかと一緒ですけれど、対外的PRですから、担当課にはまず「営業活動」をしてもらいました。
なんとか最初の1回のハードルを越えて来てもらったら、それでいい印象を持って帰ってもらったら、次の年もその次の年も来てくれるんじゃないか。口コミで広がって、どんどん広がっていくんじゃないの? という話をして、やってもらったら、実際にそういうふうになっていって。
で、同時に施設整備もやり始めるという流れですね。

注:「都城市スポーツ合宿ガイドブック」のマップを一部加工
合併の恩恵、古い施設を徐々に整備
—— 主要な運動公園を回り、各施設の規模に圧倒されました。「平成の大合併」の恩恵とも言えますが、これほど大規模で立派な施設を何箇所も保有する自治体は珍しいのではないでしょうか。
池田市長 今はそう感じていただけるようになって来ています。でも2006(平成18)年に合併した時って、やっぱりそれぞれが古くて、使い勝手がいいかというと、なかなか大変でして……。
例えば先ほども話した「高城運動公園」の「多目的広場」の整備は、私が就任する前にやっていたと思います。サッカー2面がとれるきれいな天然芝が敷かれていて、すごくいい場所なんですけれど、逆に言うと、そこしかなくて……。
すでにJリーグなんかのキャンプに使えるよねというレベルでしたが、雨が降ったらどうするんだみたいな話があったのを記憶しています。ですから、そこからかなり投資をして、きれいにしてきました。
私が就任してから雨天でも練習ができる「屋内競技場」を作っていますし、老朽化が目立っていた「総合体育館」の床も張り替えています。
—— 屋内施設が充実した「早水公園体育文化センター」もすごくきれいに整備されている印象を受けました。
池田市長 早水公園に関しては、もう再整備計画が動いていて、就任した頃が最終段階でした。もともとあった手前の「メインアリーナ」の奥に「サブアリーナ」と「武道場」を作って、さらに「弓道場」も作ると。設計も終わって、「これで行きます!」みたいな話が就任してすぐに来て。
そこで、ちょっとこれは、と思って、いろいろと見直しをして、予算にも手を入れたんですけれど、私が大きな意思決定をしたわけではありません。
ただ、最終決裁をしたのも、出来上がったのも、私が就任した後。ですから、就任後に、かなりスポーツ施設が充実してきてるというふうに見えるかもしれないですね。
—— 再整備が終わったばかりの「都城運動公園」と「山之口運動公園」のお話はあとで伺うとして、市町村合併の前からある資産では「高崎総合公園」の開発余地が大きいような気がします。
池田市長 仰るとおり、余地はあると思います。「体育館」の床はリノベーションしていますので、私の就任前からすると、かなり使い勝手は良くなってるはずなんですけど、「陸上競技場」や「多目的広場」なんかは、なかなか……。
ほかに「山田運動公園」もあります。こちらは今回、「市民向け広場」ということで整備を決め、トイレとか「野球場」にも手を入れるんですけど、高崎総合公園は追いついていない唯一の施設と言いますか。すみません、これからでございます。
—— 高崎総合公園は大規模で、見晴らしや景観も良いですし、手狭な都会のスポーツ団体からしたら魅力的に映りそうです。
池田市長 そうですね。ただ、宿泊施設が集中する中心市街地から少し距離がある。合宿地としては宿泊施設もセットで考えなければいけない。やっぱり、練習場所と宿泊施設が近いほどいいと皆さん言いますので。
もともと付随する温泉宿泊施設(現・ラスパたかざき)があって、そこは民営化したんですけれど、正直、現状ではスポーツ団体のニーズや需要を賄いきれると考えていません。
じつは私も高校時代、あそこに泊まって野球の合宿をしていたんです。雑魚寝でしたけど(笑)。そんな思い出の地ですから、宿泊施設も含めて、なんとかしたいと思っています。
野球とテニスに打ち込んだ青年期
—— 高校野球のお話がありましたが、どんな少年でどんなスポーツに触れてきたのかということも含め、個人的なスポーツへの思いをお聞かせください。
池田市長 個人的な……。そうですね、私、性格的にのめり込むタイプなので、2つのスポーツを同時にやるってあんまりなくて、なにかをやり始めたら基本はそれしかやらないんです。
野球は小学校3年から始めて、(県立都城)泉ヶ丘高校に進学してからもずっと続けて。泉ヶ丘の野球部では、私が2年生の時に厳しい監督が来られて、甲子園を目指すと。練習がハードになり、身体も作るということでプロテインもいっぱい飲まされました。甲子園には行けませんでしたが(笑)。
毎日、夜の8時とか9時くらいまで練習して、帰ってご飯食べて、一応、進学校だったので2時3時くらいまで勉強していました。今考えると、よくやったなと思いますね。

市長室には、サインボールなどプロ野球のコレクションが飾られている。中でも少年時代からの憧れだった王貞治氏のサインや2ショット写真は「宝物」だという
ただ、高校時代に肩や肘を壊してしまい、野球を続けるのは厳しかったので、九州大学に進学してからはテニスを始めました。ひとつ下の弟の影響です。
私は素人で、部活ではなくサークルでしたが、もうどっぷりとハマりまして。ほぼ毎日、テニスばかりやっていて、大学3年からテニスクラブで教えるアルバイトもしていたくらい、のめり込んでいました。
社会人になって大蔵省(現・財務省)に入り上京してからは、これまたやったことがないスキーにハマりました。バイトで教えるくらい上手い友人と初めて行って、もう死ぬ思いです。どうやって滑るかもわかんないんですから。
ところが初日の最後、緩斜面ですけれど、上から下までこけずに滑れて、それで快感を覚えて、もう嬉しくなって。そこからまたドハマりで、10年間くらいシーズン中はスキーばっかりでした(笑)。
—— 社会人になってからは、野球もテニスもやっていないんですか?
池田市長 テニスはやっています。ただ、入省して12年目に、在オーストラリア日本国大使館の一等書記官としてオーストラリアに赴任しまして、そこで今度はゴルフを覚えちゃったんです。
これもドハマりして、本気でやりました。帰国後も含めて、7〜8年くらい徹底的にやって、最後は年間アベレージ80台で回っていました。ゴルフは市長になる時にスパッとやめて、テニスに戻ってちょこちょこやっていましたが、コロナ禍の時にやりづらくなり、そのままテニスも遠ざかっています。
でも、これ今、聞かれたから言うわけじゃないですが、最近、運動不足だなと思っていて、テニスを再開しようかなと真剣に考えています。
ゴルフもお誘いを受けるので考えていますけれど、もう10何年とやっていないので、やるとなったら相当なエネルギーがいる。ゴルフクラブもイチから揃えなきゃいけない。買うなら当然、ダンロップ都城工場製造の「ゼクシオ」か「スリクソン」ですけどね(笑)。
—— 思った以上に「スポーツマン」というか、本当にスポーツがお好きなんですね。
池田市長 小さい頃から基本、スポーツをやるのは好きだし、楽しいのもあるんですけれど、やっぱり高校までの野球は相当「心」も鍛えられました。
それに、自分がやらなくても、誰でも、スポーツはやっぱりみんなをワクワクさせるものだし、元気を与えるものですよね。「地域活性化」の観点でも集客含めて大きな力を持っているので、重要な施策だと思い、今、柱の一つに据えているところです。
中途半端より思い切った投資
—— 「都城運動公園」や「霧島酒造スポーツランド都城(山之口運動公園)」では一部改修ではなく、既存施設を撤去して新設する大規模な「リニューアル」を経て、アマチュアのみならず「プロ」や国レベルの大会まで狙えるようになりました。フェーズが変わった印象です。
池田市長 そうですね。都城運動公園と山之口運動公園に関しては、やっぱり2027年に宮崎県で開催される第81回国民スポーツ大会「日本のひなた宮崎 国スポ・障スポ」が大きな起点になっています。
お話してきたように、市としてはアマチュアターゲットということで、できる範囲で施設の改修を重ねてハード面を少しずつ良くしていくと同時に、補助金や営業などのソフト面で支えた結果、お陰さまで多くのアマチュアの方々に来ていただけるようになりました。
そうこうしていると、国スポを誘致するにあたって県内の競技場を分散配置するという話になって、陸上競技場で手を挙げ、山之口運動公園への整備が決まり、それと前後して都城運動公園のテニスコートも国スポの会場として整備することになっての今なんですよね。
—— 都城運動公園に行きましたが、2024(令和6)年9月に全面供用開始されたばかりのテニスコートの規模に驚きました。
池田市長 もともと13面あったうち6面は人工芝だけど、残りは土のコート。そのうち3面は離れた場所にありました。それらをすべて撤去し、16面に拡大して集中させたんです。
どんな政策でもそうですが、私としては中途半端にやって、消化不良みたいなことをするくらいなら、もう作り直す。やるんだったら、同じ場所に新しい公園を作るくらいの思い切った投資をしたほうが、結果的にはいいんじゃないかっていう思いがあるんですね。
例えば「『道の駅』都城NiQLL(ニクル)」も、どうせ整備するなら、ドンと大きく拡大したほうがインパクトがあるし、集客にもつながって、長い目で見てもいいんじゃないかっていう思いから、ああいった決断をしました。

だから、テニスコートの整備が持ち上がった時も、そういった思いで全面的にやろうじゃないかと。いろいろな議論をしましたが、もともとあった武道館も壊して、せっかくなら野球場の周辺施設も一体で、一気にやろうとなったわけです。
—— 2025年には都城運動公園の新施設「投球練習場(ブルペン)」「サブグラウンド」「屋内競技場」が供用開始となり、2月、野球場も含めてプロ野球・千葉ロッテマリーンズ2軍の春季キャンプで利用され、話題を呼びました。

2025年2月、「都城運動公園」で千葉ロッテ2軍の春季キャンプが行われ、期間中、延べ約1万9000人の来場者が訪れた
池田市長 野球場自体、土も芝も老朽化が目立って、ラバーフェンスも危ない。スコアボードも旧式で古かったので、3施設整備の前からちょこちょこと改修していたんですね。そこで、さっきのテニスコートの話も出てきたので、じゃあ野球場周辺も一体で一気にやりましょうよ、という流れでした。
そうなった時、あそこの野球場でプロ野球を開催しようとまでは思っていないけれども、キャンプなんかでは利用してもらえるんじゃないかという思いも少しずつ出てきました。
池田市長 一方で、都城運動公園は比較的、中心市街地に近い立地です。非常時の防災施設という観点でも新施設の役割は非常に有益だと思いました。
そうこうするうちに、ひょんなことから読売ジャイアンツ3軍が高城運動公園にキャンプで来てくれることになって、なんて言いますか、いろんな流れがぐーっと集まってきて、じゃあもう都城運動公園はバシッとやろうじゃないかっていう方向性が定まって。
—— で、屋内競技場やブルペン、サブグラウンドまで作ったと。これら付随施設はプロ野球のキャンプに欠かせないものですが、できたからといって来てくれる保証はありません。
池田市長 そうですね。役所って決まってから作るのが大原則。でもプロ野球の方々は、作る前からどんな施設かわからないのに行きますとは約束できない。当然ですよね。
ですからそこはもう、お互いに立場があるなか、我々としては「防災の要」という要素も持たせて整備を進め、最終的にはうちの強い意気込みや思いが球団に届いたということです。
—— 結果として、賭けに勝った。
池田市長 結果としては。これは、どちらかが“腹”をくくらなければいけない世界で、今回はこちらがくくったということです。
「山之口運動公園を使い倒す」
—— 最後に「霧島酒造スポーツランド都城(山之口運動公園)」の話も聞かせてください。本テーマ「スポーツ立国への道」でも詳報しましたが、県管理の主競技場「KUROKIRI STADIUM(クロキリスタジアム)」もさることながら、市管理の補助競技場「AKAKIRI FIELD(アカキリフィールド)」も立派です。

霧島酒造スポーツランド都城の補助競技場「アカキリフィールド」

池田市長 クロキリスタジアムもアカキリフィールドも“超”立派です。クロキリを除いても、アカキリだけでも都城市ナンバーワン。ダントツです。
合宿もぜひやっていただきたいですよね、あれだけの立派な施設ですから。クロキリスタジアムは本格的すぎますから、合宿だとアカキリフィールドや多目的広場のほうが使いやすいかもしれません。
宿泊施設が周辺に乏しいのですが、中心市街地からクルマで20分くらい。山之口側に近づくほど交通量も少々減りますので、プロなら移動はそんなに問題にならないと思います。
—— 4期目の任期中にここまでやりたい、という意気込みがあれば教えてください。
池田市長 まずは任期中の2027(令和9)年に国スポ・障スポの本番が来ます。霧島酒造スポーツランド都城(山之口運動公園)は、開会式・閉会式という重要な部分も担っています。そこを認識しながら、県と一緒にしっかりと成功へと導きたいと考えています。
まずはそこが一番ですけれど、その先については、いかに活用するか。スポーツに限らず、あれだけの施設だったらイベントやエンターテインメントなんかにも活用できる。
公園全体の価値を上げる利活用を増やし、「いかに使い倒すか」っていうことが重要なんだと思っています。

霧島酒造スポーツランド都城は、各種イベントやライブなどへの利活用も期待されている
プロがアマを呼ぶ好循環に期待
—— まとめると、都城市のスポーツ振興策というのは、「アマチュアターゲット」のスポーツ合宿から始まり、それがだんだんと十数年かけて進化し、結果として国スポやプロのキャンプなどにも活用されるようになりました。
アマチュアを狙った戦略が結果として、大きな流れやプロにもつながっていったということだと思いますが、今後のビジョンも含めてお聞かせください。
池田市長 仰るとおりで、スタートは本当にアマチュア。私が就任した頃は、スポーツ合宿に訪れる団体は20とかで本当に少なかった。そこからアマチュアを呼び込む施策を重ね、数字として現れ、施設もある程度、追いついてきたので、プロにも反応していただけるようになってきた。そういう流れがあっての、今ということです。
池田市長 プロが来てくれるようになると、今度は「プロがやったとこで合宿したい」というアマチュアのニーズも高まるのではないかと期待しています。そういう、アマチュアの皆様方の欲望や憧れみたいなもの、あるじゃないですか。
例えば、都城運動公園だったら「千葉ロッテがキャンプしている場所」という付加価値がつく。アマチュアの方々に「そこで合宿してみたい」と思っていただける。そういうのがいいなと、ずっと思っていて。
だから今のこの良い流れを大事に、これからもスポーツ合宿を育んでいけたらと思っています。