深く多面的に、考える。

進化する畜産王国 #05

全国最高賞の和牛を育てる挑戦 「全共」へかける薬師憲一氏の思い

  • 5年に一度、和牛のオリンピックと称される「全国和牛能力共進会」。
  • 2017年に最高賞を受賞した薬師憲一氏は、27年の返り咲きを目指す。
  • 茨の道で見返りも少ない。それでも挑戦を続ける薬師氏の思いを追う。

和牛のオリンピックで「日本一」

“和牛のオリンピック”とも称される「全国和牛能力共進会(全共)」。各地の代表となった牛が集い、5年に一度開催される。そこで、最高賞に輝いた牛を輩出した農家を訪れた。田畑や林に囲まれた緑豊かな都城市高崎町にある薬師畜産だ。

都城の中心市街地から国道221号を車で北上すること約30分。ひむか神話街道沿いの交差点に「薬師食品」という直売店がある。道路沿いの目立つ場所に鎮座する石碑には「畜魂碑」と書かれていた。

都城市高崎町にある「薬師畜産」。直売店の敷地に石碑が立っている

「珍しいですよね。父が建てた時は、なんでこんなバカでかいのって思った(笑)」

薬師憲一氏(53歳)は照れくさそうにこう話す。物静かで口数が少ないが、半面、内に秘めた思いは熱いものがある。

彼こそが、2017年に宮城県仙台市で開催された第11回全共「肉牛の部」にて、最高賞となる「内閣総理大臣賞」を受賞した生産者。今もなお自身の理想の牛づくりを追求し、2年後に控えた第13回全共「北海道大会」への出場を目指す。

薬師畜産の代表を務める薬師憲一氏。手にするのは2017年に開催された「全国和牛能力共進会(全共)」で内閣総理大臣賞を受賞した時の賞状

「全国和牛能力共進会(全共)」とは
「和牛日本一」を決める国内最大の和牛の品評会で、5年に一度、道府県持ち回りで開催されている。参加する道府県の「代表牛」と生産者が一堂に集まり、日本一をかけて肉質などの優秀性を競う。

主催は、公益社団法人 全国和牛登録協会。第1回は1966(昭和41)年、岡山県で開催。1977(昭和52)年に宮崎県で開催された第3回以降、5年ごとの開催となった。初回から数えて61年目となる2027(令和9)年8月には、第13回全共「北海道大会」が予定されている。

繁殖の基盤となる雄牛、雌牛の姿・形を審査する「種牛の部」と、サシの入り具合など肉質等を審査する「肉牛の部」などにわかれており、両部をまたぐ「総合評価」とあわせて8〜9区分で「優等首席」の牛が決まる。そのうち、最高賞となる「内閣総理大臣賞」が「種牛」と「肉牛」両部門で選出される。第12回では「特別区(高校及び農業大学校)」も新設された。

「労多くして報われない」――。全共への挑戦をそう揶揄する畜産家もいるなか、なぜ薬師氏は挑み続けるのだろうか。

「一貫経営」の薬師畜産

薬師畜産では将来、宮崎牛になる資格がある計約300頭の黒毛和牛を飼養している

直売店の裏手に広がる牛舎では、将来、「宮崎牛」となる資格を持った黒毛和牛が300頭ほど育てられていた。和牛としては大規模に分類される「和牛一貫」農家だ。

本テーマ「進化する畜産王国」の記事でも紹介してきたように、黒毛和牛の生産は古くから子牛を生産する「繁殖事業(農家)」と、子牛を食肉用に育てる「肥育事業(農家)」で分業されてきた。

最近は農家の経営改革などにより繁殖・肥育の一貫経営も増加しているが、200頭以上の大規模になると和牛一貫を選択する農家はまだ和牛農家全体の3割ほど。薬師畜産はその先駆けと言える。

「自分が就農する前ぐらいのタイミング、30年ぐらい前に繁殖も入れました。子牛を育てるのは、手間暇がかかるし、リスクもあるけれど、価格的には安定して子牛を得られる」と薬師氏は言う。

生後まもない子牛は個別のケージで育て、哺乳瓶でミルクを与えている

良い牛をつくるためなら手間暇を厭わず、繁殖から育成、肥育まで、努力や研究を重ねてきた。

「牛っていうのは、常に優良な血統とかも変わってきていて、常に勉強していかないと、質を維持できない。まわりからは“変態”やって言われることもあります」

その結実が、2017年の全共で内閣総理大臣賞をとった牛である。

近年、宮崎勢は全共で圧倒的な強さを見せつけている。2007(平成19)年、鳥取県で開催された第9回から、直近の2022(令和4)年、鹿児島県で開催された第12回まで、宮崎県は4回連続で、内閣総理大臣賞を得る快挙を成し遂げた。

全国和牛能力共進会(全共)の歴史と受賞歴
開催年(開催地) 内閣総理大臣賞
種牛の部 肉牛の部
1 1966年(岡山) 岡山 岡山
2 1970年(鹿児島) 大分 鹿児島
3 1977年(宮崎) 島根 島根
4 1982年(福島) 広島 鹿児島
5 1987年(島根) 広島 島根
6 1992年(大分) 鹿児島 兵庫
7 1997年(岩手) 岩手 静岡
8 2002年(岐阜) 岐阜 大分
9 2007年(鳥取) 宮崎 宮崎
10 2012年(長崎) 宮崎 長崎
11 2017年(宮城) 大分 宮崎
12 2022年(鹿児島) 鹿児島 宮崎
13 2027年(北海道)

薬師氏はこのうち、2012(平成24)年に長崎県で開催された第10回大会から、全共への挑戦を始めた。

理想の脂を求めて

「今、赤身志向だって言われるけれど、本当においしいお肉っていうのは、口の中に入れた時にとろけるような、それでいてくどくない脂がのる肉だと思っていて。全共に脂質を競う部門があって、そういうところに挑戦したい気持ちがあった」

最初の挑戦の理由を薬師氏はこう語る。

牛肉の脂質を図る代表的な指標として、「オレイン酸」や同酸を含む「一価不飽和脂肪酸(MUFA)」がある。オレイン酸やMUFAの値が多い脂肪は、融点が低いため、口当たりが良いとされている。

全共の肉牛の部の審査でも、このMUFAの値が重要なポイントとなっている。もともとMUFA値が高い肉質を目指していた薬師氏は、自身の腕を試そうと2012年の全共「長崎大会」を目指したが、この時は県内の“予選”段階で敗退。出場は叶わなかった。

「自分にそんだけの力がなかった。でも、また挑戦してみないかと話があって。予選落ちしてわかったこともあったので、やってみようと。それに次の大会の開催地は弟がいる宮城。東京から上には行ったことがなかったし、弟にも会えると思って挑戦しました(笑)」

折しも、長崎大会の翌年、2013(平成25)年度から、都城市役所も全共対策を本格化させていた。

都城市は2013年度から「全共対策」を本格化させた(「広報 都城」より)

13年4月、市は当初予算に全共対策事業を計上し、畜産課内に共進会対策室を設置。都城の牛が2017年開催の第11回「宮城大会」で宮崎県代表に選ばれ、さらに日本一を獲得するために、生産者への積極支援を開始した。薬師氏もその一人となった。

しかし、それでも全共というのは一筋縄ではいかない。

「満天白清」残りものの福

通常、和牛は生後8〜10カ月程度の子牛をせり落とし、それを20カ月程度、肥育してから、生後28〜30カ月で食肉として出荷する。しかし、全共で品評される牛はもっと若い。生後6カ月の子牛を“導入”し、18カ月肥育して、生後24カ月の牛の肉質を見極める。

肉の完成まで時間がない分、難易度も高い。「まだちっちゃい牛なのに、サシを入れて脂質まで良くしようという、普通では考えられないような技術が必要なんです。そこを作り上げるのが大変」と薬師氏は言う。

加えて、出場を目指す生産者は、自由に子牛を選ぶことができない。

全共の狙いの一つに肉質改善や品種改良がある。若く新しい種牛からの子牛など、大会に出す“代表牛”の「血統」は、全共を主催する公益社団法人 全国和牛登録協会の各県支部が決めることが多く、選ばれた子牛の中から出場を目指す生産者が取り合うことになる。

「自分はこれを育てたいってなっても、ほかの県内の生産者さんと被った場合は抽選になってしまうんですね。(11回大会の時は)くじに外れまくって、最後、誰も選ばなかった『満天白清』という血統の牛が4頭、残っていたので、その中の1頭を選びました」

種牛「満天白清」が子を全国チャンピオンへと導いた(一般社団法人 宮崎県家畜改良事業団のウェブサイトより)

「満天白清」という種牛は、今でこそ有名だが当時は無名。子牛の体格は華奢で、導入段階では見向きもされないような牛だったが、薬師氏はその子を丹念に育て上げた。そして、市のサポートもあって見事、宮崎県代表に選ばれた。

都城市から宮崎県代表に選ばれるのはじつに3大会、15年ぶりのこと。しかも、その牛が全国大会でチャンピオンに輝いた。

2017年開催の第11回全共「宮城大会」で最高賞を獲得した(提供:薬師畜産)

自家配合の餌と添加剤

薬師氏が名付けたその代表牛は「満点明彰」号。出場枠は、同じ種雄牛を父親に持つ子3頭の肉質を評価する「第8区」。薬師氏は小林市の生産者2名とともに、満天白清を父に持つ代表牛3頭で全国大会に挑んだ。

第11回となる宮城大会では、39道府県から過去最多の513頭が出場。宮崎勢は9区分中3区分で優等首席を獲得した。そのうち薬師氏らが挑んだ「8区」が肉牛の部における内閣総理大臣賞に輝いた。

同じ種牛を父に持つ3頭で臨んだ肉牛の部の「8区」にて、内閣総理大臣賞に輝いた

華奢な子牛を宮崎県代表に育て、さらに日本一とした要因はなにか。薬師氏はまず「餌のこだわり」をあげる。

輸入の配合飼料が広がるなか、薬師畜産では独自の配合飼料を開発し、JAグループに製造を委託している。「抗生物質(モネンシン)」の入った飼料が主流になりつつあるが、薬師畜産の飼料は抗生物質に頼らない自然由来のものだ。

前期は低カロリー高たんぱくの配合飼料と良質な牧草を多くすることで、牛の骨格や筋肉の形成を促し、徐々に高カロリーの配合飼料に切り替えていく。代表牛となった満点明彰号にも同じことをした。

薬師畜産では独自の配合飼料をJAグループに製造委託している

「全共は、サシの入り具合、肉色、脂肪の質に加えて、筋肉の発達具合などを総合で評価して順位を決める大会。まずはしっかりした筋肉の大きさがないといけない。初期にあまり強い餌をやると、脂が筋肉に入り込んで発達しなくなるので、自分のところの餌で筋肉と骨格を大きくして、サシをしっかり入れました」

薬師畜産では肥育期間、最後の6カ月、配合飼料に「枯草菌」が入った添加剤を加えるなどの「アレンジ」を施し、脂質の改善に注力している。前出のMUFA値を上げるための取り組み。これも、満点明彰号に施した。

自家配合飼料のブレンドに加え、餌を変える3段階のタイミングや、添加剤の種類や量など、すべてが薬師畜産独自のノウハウであり、技術でもある。

「運」を引き寄せた牛への愛情

内閣総理大臣賞を獲得した要素として、こうした餌へのこだわりに加えるとすればほかになにが考えられるのか。聞くと、しばらく考えた薬師氏はこう言葉を絞り出した。

「なんだろう……。やっぱり運かな。さっきも言ったように、最後に残った牛で行ったわけやから。その時の運とタイミングと。あるのかもしれないですね」

取材の冒頭で案内してもらった石碑の存在を思い返した。技術や経営には関係ないかもしれないが、牛への愛情や感謝の思いが強くなければそんなことはしない。そうした牛への姿勢も良い牛づくりにつながっているのではないか。愚問と思いつつ聞いてみた。

「そうですね……。そうかもしれないです。愛情を持って最後まで面倒を見ないと、っていう気持ちはありますよね。やっぱり、命をお金に変えてやっている商売なので」

「うちが石碑を建てたのは『BSE』とか『口蹄疫』の前ですが、その後に石碑みたいなものを建てる農家さんもいました。今となっては、石碑を見ると当時の父の思いはすごいのかなって思ったり。大事ですよね。そういう思いも」

満点明彰号が栄誉に輝き、薬師氏は牛への感謝の思いを一層、強くした。同時に、地元のひとが喜んでくれたこともうれしく、感謝した。

全国大会へ出場する際、同業の畜産農家は飲みきれないほど大量の「本霧島」を手に訪れ、健闘を祈ってくれた。地域で「出発式」もやってくれた。大会当日は、池田宜永(たかひさ)市長始め、仙台市の会場に都城からも応援団が駆けつけてくれ、声援を浴びた。

「地元の皆さんがよろんでくださるのは、やっぱり自分としてもうれしいです」。薬師氏はその思いを胸に、日本一になって以降も全共への挑戦を続けてきた。

“県大会”へ出るリハーサル

2022(令和4)年10月、お隣、鹿児島県霧島市と南九州市で開催された第12回「鹿児島大会」は、県内予選の最終審査まで残ったものの、惜しくも本選出場を逃した。

この時も、生後6カ月の子牛の導入時は、希望する牛の抽選に外れ、残りを引いた。肥育の成果は「本選に行った満点明彰号よりも、内容は良かった」(薬師氏)ものの、落選。ほかの生産者の牛が代表となった。宮崎県勢は肉牛の部で内閣総理大臣賞を獲得し、2連覇を果たしている。

薬師氏は自らは本選に行けなかった理由を、「なんだろう……。もう少し、足りなかったかな。気持ちが」と言った。

それでも前回大会から2年以上が経った今、次回大会でふたたび日本一へと返り咲くべく、努力を重ねている。

今は、2027年8月、音更町(種牛の部)と帯広市(肉牛の部)で開催される第13回「北海道大会」に向け、県代表を決める前段階。県代表を選定する審査は2027年6月に予定されている。都城市ではそこに出場する“市代表”を決める「リハーサル」の最中だ。

2027年、約60年の歴史で初めて、北海道で全共が開催される(全共「北海道大会」の特設サイトより)

薬師氏のほかに5軒、計6軒の農家が市代表になるべく手をあげた。それぞれのリハーサル牛は肥育中であり、本番と同様、枝肉となって各種数値などが測られ、評価される。その結果で、県内予選に出場する4軒を絞る。

選ばれた4軒は、2025年8月生まれの子牛を2026年2月に導入し、そこから18カ月後、2027年8月の北海道大会に向けて肥育する。その牛が県代表になれるかどうかは、全国大会2カ月前の県審査会で決まるというわけだ。

日本一まで、遠い道のり。茨の道である。

見返り少ないながら挑む理由

意外にも、薬師畜産に限れば、日本一をとったからといって、経済的な恩恵を受けたわけではないという。

「賞をとった満点明彰号はその場で市場価格の4〜5倍の値段で高く売れたけど、そこだけですかね。自分が、というよりは、宮崎県が日本一になったという感じなので、宮崎牛の価値には多少つながったかもしれませんが、うちの牛が高く売れるとか、そういうのはない。値段は等級で決まるので」

そう薬師氏が話すように、恩恵は宮崎県全体で受けた。宮崎牛の価値向上には一定、寄与したものの、薬師畜産の肉にブランド価値がついたわけではない。直売店へ来るお客が増えたというわけでもない。

ひむか神話街道沿いの交差点にある直売店の「薬師食品」。裏手の広大な敷地に牛舎が広がる

それでも、茨の道に身を置き続けるのはなぜなのか。

「行けることなら行って、もう一度自分の技術を確かめてみたい。どこまでできるのかっちゅう挑戦。ひとからは“変態”やって言われるけど、好きなのですかね、やっぱ、こういう挑戦が。大変ですけど」。薬師氏は、そう答えた。

薬師氏が理想とするMUFA値が高い、融点が低くて、とろけるような、それでいてくどくない脂の追求は途上にある。

「餌や添加剤も、どれがいいのかっていうのはまだ試行錯誤の段階。はっきりは言えないんだけど、ただ、米ぬかとか、『ホミニーフィード』っていう、トウモロコシ系のものも融点が低くなるって言われています。そういうのもいろいろ試してみたい」

とにかく研究熱心。生産者というよりは、研究者と呼ぶべきなのかもしれない。自分の技術がどこまで通用するか、とことんやって確かめてみたいという熱い思い。その先には、ある夢がある。

家族でつなぐバトン、自家産で挑む夢

リハーサルの段階では、各農家、2頭ずつ育てている。薬師畜産は、2頭のうち、1頭を自分の農場で生まれた「自家産」で挑んでいる。

ただし、自家産で挑むのはリハーサル段階まで。自家産で本選に臨むまでには、その子牛が選抜に残り、本選に出場する肥育農家として子牛の抽選を引き当てるなど、かなり高いハードルがある。

でも、いずれは、自分で繁殖した牛を自分で肥育して、全国に出したい――。その思いも、薬師氏は抱き続けている。

「自分ちで生まれた子牛を育て上げるほうが、環境も変わらないのでやりやすい気がするんですけどね。それに、うちの嫁や息子がミルクを与えて子牛を育てて、それを自分が肥育して、家族でバトンをつないできたので、そういう牛が全国でいい成績を残せれば、家族みんなで喜べるよねっていう思いもあります」

薬師一家。家族総出で愛情を込めて牛を育てている(提供:薬師畜産)

その秘めた思いがすぐに叶うのは難しいかもしれない。だが、全共への2回目の出場、日本一の返り咲きについては、まだチャンスが残されている。しかも、日本一となった第11回宮城大会と同じ“条件”もある。

「北海道の江別市には姉がいて、姪っ子もそこから大学に通っていて。まだ姉のところには行ったことがなくて、どんなところに住んでるんだろうって。だから、全国大会に出て、宮城大会の時みたいに会いに行きたいですね」

第12回鹿児島大会の敗因として「気持ちが足りなかった」と口にした薬師氏。初挑戦の第10回長崎大会も同じ九州で、「行ってみたい場所」ではなかった。

日本一となった宮城と同様、北海道は家族がいる行ってみたい場所。そのことが、薬師氏の気持ちを少しだけ、奮い立たせている。

  • 筆者
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井上 理(いのうえ・おさむ)

フリーランス記者・編集者/Renews代表。1999年慶應義塾大学総合政策学部卒業、日経BPに入社。「日経ビジネス」編集部などを経て、2010年日本経済新聞に出向。2018年4月日経BPを退職。フリーランス記者として独立し、Renews設立。著書に『任天堂 “驚き”を生む方程式(日本経済出版社)』『BUZZ革命(文藝春秋)』。

  1. 全国最高賞の和牛を育てる挑戦 「全共」へかける薬師憲一氏の思い

  2. “6次化”で成長する観音池ポーク 「都城メンチ」連合艦隊で全国区へ

  3. 子牛市場を救うランズの代理母 繁殖支える内田畜産の「希望」

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